世論調査の結果など見ていると「賛成」「反対」「不明」「どちらでもない」などの回答が並んでいる。「不明」というのがどういうことなのかよくわからないが一番数が多いのは大抵「どちらでもない」だ。これは”どちらでもない”という選択肢を作った調査側の問題が大きいと思っている。例えば「今の政権を支持しますか?」と訊かれれば、大抵の人は諸手を挙げて「100%支持する!」なんてことはないわけで、子育て支援策については賛成だけど憲法改正については反対、などの意見を持っているからだ。だから結果としては「どちらでもない」という回答になる。そもそも世の中に白か黒かではっきりと決められることなど滅多にない。

ところであなたはこのような問題に限らず何らかの意見を持っているだろうか。子供がいればいじめや不登校などの学校関連でのいろいろな問題、高齢者がいれば高齢者福祉関連、高齢者運転者の免許返納などの身近なことについてなら何らかの意見を持っているかもしれないが、自分にあまり関係のなさそうな政治・経済・法律などについてはあまり考えたことがない人もいるだろう。人と話をしていてもその人の仕事に関係した話や身近な話題ではのめり込むように持論を展開する人も、ひとたびその話題を離れると黙り込んでしまう人は多い。

もちろん世の中のすべてを深く知ってすべてについて自分の意見を持つことなどできない。しかし今話題にしている事柄について何が問題でどのような解決策が望ましいのかについて意見を出すのなら、その場で考えて自分なりの主張だってできるはずだ。それでもほとんどの人は黙り込んで薄笑いを浮かべているだけである。もちろん迂闊なことをいえばテロリストと間違われるようなことならダンマリも分からないではないが、新しくなるお札に渋沢栄一が採用されたことをどう思うかなど、言ってみればどうでもいいことについても何も意見が出ないというのはどういうことだろうか。自分にとってどうでもいいことは考えもしないのだろうか。

そんなこと考えてるほどヒマじゃないという人もいる。でもそんな人に限ってスマホゲームに熱中する時間は十分にあるのだ。でも恐らくゲームで時間を浪費することの是非すらその人にとってはどうでもいいことなのだろう。自分がその時間を使って何をするかの選択肢は100%自分が握っているのにだ。

どうでもいいことだっていい。賛成でも反対でも構わない。でも単に聞いたことをそのまま受け入れて同調するだけではない、どうして賛成なのかどうして反対なのかということについて何も意見をいうことができない自分の知性というものを寂しいと思わないのだろうか。何事についても深く知って考えを持つべきだと言っているのではない。その場で右か左か真っすぐかの選択をすべき時に成り行き任せにしてはいないだろうか。

意見がない人は声の大きな人の行動に流される。言いなりになって漂流する。やがて自分を見失ってしまう。そして残された時間がわずかになってから自分探しを始める。あなたがそれでいいなら何も言うまい。でも自分の人生、最期にそれでよかったと思えるのだろうか。今からでも遅くない。考えることをしよう。そして何に対しても自分の意見を言えるようになった方が充実した日々を送れるとボクは思っている。