人から見られるのは苦手という人がいます。一方で誰かに見て欲しいという願望もあります。見られたくないと思っている人も、誰にも顧みられないというのはちょっぴり寂しいと内心では思っていたりするのではないでしょうか。誰にも見られないということは「その人は自分に無関心」だということの裏返しなのです。すべての人に振り向いてもらわなくてもいいのですが、仲のいい友達や家族にはちょっとは見て欲しいというのが本当の気持ちではないでしょうか。かつて「ヒロシ」という自虐ネタお笑い芸人が舞台で言っていました。

ヒロシです
パーティーに行ったら途中で知り合いの女の子に
「いつからいたの?」と訊かれました
・・・
最初からいました

その子には最初から自分のことなど見えていなかったわけで…。興味がない、無関心というのは寂しいものです。特に自分のことにまったく関心を持ってもらえないのは、ごく一部の人を除けば心が荒むような思いではないでしょうか。

逆に「常に見られてる」と思うと迂闊なことはできません。いいことならまだしも悪いことやインチキはすぐにわかってしまいます。人は誰も見ていないと思うと誤魔化そうとするのです。人通りのない夜中の横断歩道では赤信号でも堂々と無視して渡っていきます。誰にも見られていないと思えばすぐに誤魔化そうとします。できることならいいことや自慢できることだけを見ていてくれればいいのにと思ったりします。

でも普段から自分は本当に見られているのでしょうか。誰かが常に自分に興味を持って見てくれているのでしょうか。何も見られていないのに見られていると思っているだけではないでしょうか。やたらとお洒落にうるさい男性がいます。自分が「ダサい」と思った服や髪型には我慢がならないのだといいます。もちろん身だしなみに気を遣うのはいいことだし周囲の人に不快な思いをさせまいとするのは素晴らしい心がけだと思います。しかしそれも行き過ぎるとちょっと鼻に付くようになります。

こんな服じゃ恥ずかしくて人前に出られないとか、安物の腕時計など付けていては恥ずかしいとか、細かいことに拘って肝心なことが疎かになったりします。約束の時間に遅刻してまで髪型に拘ったり着て行く服が決まらなかったからと1時間も遅刻してくる女の子もいました。もしかしたらこれから会う相手の人のことを考えて悩んでいたのかもしれません。でもそんなことよりも約束の時間にきちんと来てくれた方が相手にとっては助かるのです。そんな言い訳を聞いていると「あなたの服のことなんて誰も気にしてないよ」と言ってしまいたくなります。

そんな人は「いつも誰かが私を見てくれている」と思い込んでいるのではないでしょうか。以前にここでも何度か書きましたが、人が一番興味を持って愛おしいと思っているのは自分自身なのです。あなたのことは2番目以降なのです。誰もあなたのことを第一に見てはくれないのです。くだらない見栄で(失礼!)相手に迷惑がられるようなことがあれば自意識過剰だと思われるだけです。誰も見てくれないのに見られていると思い込んで自己満足しているだけなのです。

誰かに見られていると思うと実力以上に背伸びして自分を優れている存在に見せようとします。しかし実際には実力はないので評価されることはありません。ところが評価されないと自意識過剰な人はそれを不満に思うわけです。なぜなら”自分は優れた人間だ”と思っているからです。

自分は優れているのに評価されないのはオカシイと思います。そんな社会は間違っていると思います。そんな社会を許してはいけないと思います。そんな社会に復讐してやろうと思います。そして事件を起こすのではないかとボクは思います。もっと緩やかに生きようよ。

意見には個人差がありますよ。悪しからず。