長野県の松本市周辺は車の運転が乱暴らしい、と誰かが言っていた。交差点では対向車が直進してきてもお構いなしに右折するのだという。人呼んで「松本走り」。そういえば山梨もマナーが悪いと学生の頃に聞いたことがある。岐阜市も野蛮で乱暴なことでは有名だ。名古屋は間違いなく乱暴だ。しかし日本中、いろいろなところに行ったが乱暴運転のないところなどなかった。今ボクが住んでいる神奈川県だって乱暴運転をする人は少なからずいる。無理やり右折しようとする人などザラだ。日本中にそんな土地はいっぱいある。

昔は東京も乱暴だったし今でもとても丁寧だとは言い難い。無理な割り込み、追い越し、急ブレーキ…。信号のない横断歩道で歩行者を待つドライバーなどほんの一握りだ。それは我が家の近所でも普通のことである。それでも首都圏の一部では譲り合いが増えている地域もある。譲り合うことでお互いが得をすることがわかってきた人の多い地域だ。

フィリピンのマニラで車に乗ったことのある人はお分かりだと思うが、幹線道路はびっちりと渋滞して10分経っても20分経っても1ミリも動かない。前後左右の車とは数センチの余裕しかなく、ドアを開ける事さえできない。ほんの少しの隙間があれば自分の車の鼻先をねじ込んでくる。もちろん交通事故も日常茶飯事だ。道路に死体が横たわっている光景も何度か目にした。それでも彼らはその渋滞を解決しようとする気がないようだ。

”パニック”とは、ホールなどで火事などのアクシデントが起きた時に、部屋の中にいる人が我先にと小さな出口に向かって殺到し、誰一人として外に脱出することができなくなる状態をいう。誰一人である。例えば1列に並んで順番に外に出れば少ない人数ではあっても確実に外に出ることができる。ところが全員が出口に殺到することで一人も出られなくなってしまう。マニラの渋滞もそういうことだ。コントではないが「渋滞の先頭は何してるんだろう?」ということである。少しでも進んでいるなら列の後ろで数十分も1ミリも動かないなどということは起こらない。パニックが起きているわけだ。

日本では譲り合う行動が徐々に増えてきた地域もある。そんな地域の人はゆっくりと合理的に考えることができるようになっている。お互いが譲り合って互い違いに進むことで、その場だけで見れば自分が遅れを取っているように見えるが、全体としては、ゆっくりとではあるが効率よく前に進むことができているわけだ。伊豆半島などの観光地でも道路はまったく変わっていないのに数十年前に比べたら譲り合うことで渋滞も緩和されている。

ところがそんな中に1台でも我儘な無法者が紛れ込んでくると効率化は一気に崩れてしまう。”自分ファースト”で無理な割り込みをしたり駐停車禁止の場所に平気で車を停めるような人だ。これは故意にパニック状態を起こしているようなものである。無理に突っ込んでくる車がいれば相手の車は急ブレーキを踏んで止まらざるを得ない。ゆるやかに流れていた流れを断ち切ってしまうのだ。昭和の高度成長期にはほとんどのドライバーがイライラして車を運転し、殺気立って我先にと割り込みを繰り返していた。それでも時代が変わって人の心にも余裕が出てきた。

パニックを起こして我先にと出口に殺到することが命取りになることをわかっている人が増えてきている。1分1秒を他人と競っても自分は何も得をしないということがわかってきた。そのことをもっと広めることができるなら日本はもっと幸せな社会になれるのではないだろうか。もちろん不見識な人間はいつまで経っても不見識なままだろう。しかしそんな人を見かけたら「哀れで損な奴よ」と心の中で慰めてあげるくらいの余裕を持てれば、少なくとも自分の心だけは乱されることはないのではないだろうか。