以前、”続けるために必要なこと”、というテーマでコラムを書いた。自分の周りに続けたいこと公表して、途中で諦めたり挫けたりしたら自分が恥ずかしい思いをするようにすればいい、ということを書いた覚えがある。その思いは今でも変わってはいないが、ある程度続けているうちに自分の心の中に一つの感情が芽生えてくるのを感じることがある。

もちろん何かを”続けます”と宣言したのに三日も経たないうちに断念してしまうのは、いかにもだらしなく精神的な弱さを露呈しているような気がする。それは飽きっぽいと受け取られるかもしれないし、根性がないと言われるかもしれない。事実、飽きっぽくて根性がないわけだ。「継続は力なり」とは受験生だった頃から幾たびも言われてきたことだ。それでもボクの飽きっぽい性格は未だに治らない。

治らないのだがいくつかは細々と続けていることもある。自慢できることでもないので詳しくは触れないが、続けているうちに「途中でやめたら恥ずかしい」という感情とは違った「自分に勝とう」とか「挑戦していることを成し遂げよう」という感情が生まれることがある。本来は続けることで何らかの目的を果たそうとして始めたのだが、本来の目的よりも”続けること”が目的になってしまう。これは目的と手段の逆転、履き違えに他ならない。ビジネスの世界でもよく見られる現象だ。

「せっかくここまで続けたんだから今やめたらもったいない」などという感情だ。実際のところは、今やめたところでもったいないことなどほとんどないのだが、そこに至るまでにつぎ込んだ労力やお金が”無駄になる”と思うと我慢ができないのである。これはギャンブルの世界でも散見されることだ。負けて続けているならさっさとやめればいいのに、それまでにつぎ込んだお金が”無駄になる”と思い、これだけ突っ込んだのだからそろそろ大当たりするはず、などという根拠のない希望を捨てることができない。

ギャンブルは別として、続けることで何かが変わるように思うこともある。それに少なくとも続けなければ何も変わらない。誰かが変えてくれるのを待っているだけだ。もちろん他の誰かが自分の人生を変えてくれるかもしれない。でもそんな時は永遠に来ないかもしれない。中島みゆきの歌にこんな歌詞がある。

その船を漕いでゆけ
お前の手で漕いでゆけ
お前が消えて喜ぶものに
お前のオールを任せるな

中島みゆき「宙船(そらふね)」より


もし続けることだけが目的なら、ただ淡々と続けて行くことが大切なんだと思う。それに屁理屈をつける必要などない。続けることこそが自分の目的なのだと割り切ればいい。続けることで何か大切なことが見えてくる時が、いつか来るのではないかと思っている。