「つゆのあとさき」は永井荷風の小説である。銀座のカフェーを舞台にした男女の物語だ。しかし同じタイトルの歌がフォーク歌手のさだまさしさんのアルバムにもある。さださんといえば梶井基次郎の「檸檬」と同じタイトルの曲も出しており、作詞作曲した時期も「つゆのあとさき」と同時期であることを考えると同じように文学作品をリスペクトしてつけた題名ではないかと思う。

しかし小説と歌の歌詞の内容には全く関連性はない。同じ題名ではあるがそこでイメージされることは全く違う。それでいてどちらも内容を知ったときにはその題名がしっくりと感じられるのは、どちらも素晴らしい作品だということに尽きる。

ボクがそれらの小説を初めて読んだのは中・高校生の時分だった。同じ頃に当時好きだったクラスの女の子に勧められてさだまさしの曲も聴き始めた。しかし時代はさだまさしに冷たく、「根暗」だの「少女趣味」だの「マザコン」だの「亭主関白」だのと言われ、そんな音楽を聴くような男は”軟弱者”だと言われた。だからクラスの誰にも”さだファン”だということは隠していた。

学校帰りにいつも立ち寄る平坂書房という本屋が駅前にあった。もう時効だが当時、ボクは毎日のように1〜2時間をかけて小説1冊ほどを立ち読みしていた。最初の頃は科学関係のブルーバックスという新書を中心に読み漁っていたのだが、いかんせん田舎の本屋なので品揃えはお世辞にも豊富とは言い難かった。ブルーバックスをあらかた読みつくしてしまったボクの目に留まったのが曲名と同じタイトルの古い小説の文庫本だった。平坂書房は学校帰りの中高生の客も多かったので文庫の小説は充実していた。
全くもって恥ずかしいことだが、当時のボクは夏目漱石の小説のほとんどを平坂書房で立ち読みした。鴎外も読んだ。柳田邦男のノンフィクションも読んだ。星新一も読み漁った。平坂書房はボクの図書館だった。

そんな中に永井荷風や梶井基次郎、堀辰雄などの作品に同名タイトルの小説を見つけて読んでみたくなった。結論から言えばその全てが面白かったわけではない。なんせ古い小説だ。読んだのが40年も前のこととはいえ明治・大正・昭和初期とは時代背景が全く違う。退屈な小説も多かった。だって小説の中では結核が肺病と呼ばれ、死病だった時代だ。もちろんボクが高校生だった当時もサナトリウム(結核療養所)は家の近くにあったし、今でも結核で命を落としてしまう人がいるのは事実だ。実際にボクの叔父も若い頃に結核で命を落としている。

それでも中には同じ題名にも関わらず全く違った世界をそれぞれに描き出している作品もあった。それらの作品に触れた時、同じ言葉から全く違ったアプローチや考え方が生み出されることもあるのかと不思議に感じたことを今でも忘れない。

十人十色というが同じ出来事や言葉から考え、連想することはこんなにも多様性があるのだ。他の人と国籍が違うから、考えが違うから、宗教が違うから、肌の色が違うからと簡単に排除しようとする国際社会や民族、宗教、貿易戦争に人間という生き物の未熟さを感じないではいられない。