年末の大掃除に限らず、ある日突然思いついて家や部屋の片づけを始めたという人もいると思う。普段通りに生活していてもいつの間にか物は増え、部屋の中は散らかっていく。「エントロピー」という言葉を聞いたことがあるだろうか。簡単に言えば”乱雑さ”のことだ。物理学には「エントロピー増加の法則」というものがある。これも簡単に言えば「あらゆるものは放っておくと限りなく散らかり続ける」ということだ。散らかっているものを片付けて整理整頓するには何らかのエネルギーが必要だということになっている。それが断捨離というわけだ。

例えば0℃の1リットルの冷水と100℃の1リットルの熱湯を混ぜ合わせれば50℃の2リットルのお湯になる。自然に冷めてしまうなどの現象を無視すれば、前後の熱エネルギーの合計は同じだ。エネルギー保存の法則は成り立っている。これは経験的に理解できる。でも50℃のお湯を放っておいたら0℃の氷水と100℃の熱湯に分かれたなどということはない。ここでもエネルギー保存の法則は成り立っているのにだ。お湯を沸かすには火にかけて沸騰させなければならないし、氷水を作るには冷蔵庫で冷やさなければならない。

冷たい水の分子の動きは鈍く熱湯の分子は活発だ。2つを混ぜ合わせれば活発な分子は鈍い分子にぶつかり、鈍い分子は活発な分子にぶつかってお互いがだんだんと同じ速さになっていく。そして最終的には全体が均質化されたのっぺりとしたお湯になるというわけだ。宇宙全体を見渡した時にも138億年前に起きたとされるビッグバン以来、全体のエントロピーは増大する方向に進んでおり、遠い将来には星も何もかもがなくなってモヤがかかったのような全く変化のない世界になるのではないかという人もいる。まったく変化がない世界に時間の概念はあるのだろうか。変化があるからこそ時間を感じるわけで、何も変化のない世界では時間がなくなってしまうような気もする。

話を戻そう。物を片付けるときにいつも立ちはだかるジレンマは、捨てるべきかとっておくべきかという問題だ。片付けが苦手という人は大抵の場合捨てることが下手くそである。だから必要もない物が溜まっていくのだ。かくいうボクも捨てることが苦手だ。もともと貧乏性なので物に囲まれていると安心するタイプである。捨てようと思っても「いつかまた使う時が来るのでは?」などと思ってしまって捨てられないでいる。

引越しは物を整理するには絶好のチャンスだ。部屋の中にあるものを棚卸するのだから自分が持っているものをすべて把握できる。ボクは過去に10回くらいは引越しをしている。その度に大量のガラクタを処分してきた。しかし今はマンションに引越してしまったのでしばらくは引っ越す予定もない。そして10年が経った。

引越したあとの荷物は気合を入れてすべてを片付けなくてもいいと思っている。引越してから「あれはどこにしまったかな?」などと段ボールから必要なものだけを引っ張り出しているうちに必要なものが出揃う。そして1〜2年が経っても段ボールの中に残っているものは使わないもの、つまりいらないものというわけだ。

しかし本当の断捨離はここから始まる。使わないものの中にも取っておきたいものがある。いわゆる「思い出の品」というやつだ。「モノより思い出」とはよく言ったもので、モノは簡単に捨てられても思い出をバッサリと切って捨てるのは忍びない。もちろん忘れたい思い出はすぐにでも捨てたいくらいだが、大したことのない思い出でも記念にとっておきたいと思う感情は普通だ。しかしその”記念”が本当に必要になる日が来るのだろうか?

思い出が大好きな人もいる。しかし普通の人は、毎日とは言わないまでも毎年アルバムを見返して思い出に浸ったりするのだろうか。少なくともボクはアルバムなどほとんど見たことはない。だから「これだけは取っておこう」と思うものを段ボール一箱に絞っている。それに入りきらない思い出は優先順位をつけて涙を飲んで捨てることにしている。

それで過去に後悔したこともある。小学校・中学校の卒業アルバムまで捨ててしまったらしい。数年前に数十年ぶりに同窓会があったときにも同級生の名前すら思い出せずにバツの悪い思いをしたこともある。しかし後悔したのはそれくらいだ。そもそもアルバムを見返さなければ思い出せないことは、つまりは忘れてしまったことだ。忘れていても今が幸せでいられるなら、過去のことは二の次だと思っている。どうしても困ったときには旧友や同級生に頼ればいい。それでもわからなければ諦めるだけだ。

思い出であれなんであれ、もう使わないものを取っておく必要はない。「もしかしたら?」が捨てる力を削いでしまうのだ。