連休ともなれば有名観光地はもちろん都内の博物館や美術館にも長蛇の列ができる。お目当ては国内はもちろん海外のミュージアムの有名収蔵品を集めた特別展である。もちろん現地のミュージアムを訪れればそこですべてを見ることが可能なのだが、運が悪いと他所で開かれる特別展のために貸し出されていて、本来の場所はもぬけの殻ということもある。それでも現地まで足を運ぶ人と特別展にやって来る人の数を比べれば特別展の方が何倍も多いのだから、より多くに人に見てもらうには致し方ないのかもしれない。特別展のために美術品や古い仏像を運ぶ専門家もいるらしいが、その話は別の機会に譲ることにする。

特別展は本来あるべきお寺や美術館などにあるものの中から、とりわけ人気の高そうなものを選んで借りてきて展示されるダイジェスト版だ。企画側としては展示会をやるからにはやはり”目玉商品”が欲しい。言い方は悪いが一種の人寄せパンダだ。できる事なら何も”肩書”のない古い物よりも、いきおい重要文化財や国宝などが選ばれることになる。不思議なことにそういった特別展に行くと、展示物の中でも国宝の前には大きな人だかりができるが重要文化財の前だとそうでもない。レプリカの前などほとんどの人が素通りしてしまう。

レプリカは別として、国宝と重要文化財の違いを決めたのは現代人である。それらが作られたときには国宝もへったくれもない。長い時間を経たあとで現代人が「これは貴重だ」と思うものをランキングしているに過ぎない。だから特別展で国宝や重文だけを見ればそれ以外のものは見る価値がないというわけではないと思う。それでも多くの人はランキング上位のものだけに魅力を感じるらしい。

しかし有名でランキング上位のものだけが見るべきものではないと思う。それはしょせん誰かが歴史的な背景やその人の好みで選んだものだ。国宝、重要文化財、名だたる仏像や絵画などそれは素晴らしい物には違いないが、それ以外にもあなたが好ましく感じるものはないだろうか。国宝には群がるのに重要文化財だと軽く見る人が多かったりするが、いわゆる歴史的な資料のなかにも興味を惹かれるものは数多くある。それらをじっくり眺めていると不思議な魅力を発見することが多い。偉い先生方がつけた価値観ではなく自分が観た価値観だ。

自分の心に素直になって感じ、自分の目で見てみようではないか。

画廊や美術館に行っても「絵のことはわからない」という人は多い。仏像の善し悪しなどシロウトに分かるわけがない。しかしその歴史的金銭的価値はわからなくても好き嫌いはあるはずだ。ボクはバベルの塔の絵で有名なブリューゲルやレンブラントの絵が好きだ。レプリカでもポスターでもいいから家の壁に飾りたいと思う。

誰かが言っていたが美術館や画廊で絵を見た時に「自分がお金を出して買おうと考えたら、自分にとっての絵の善し悪しが見えてくる」のだという。自分がお金を払って買うならどれがいいか、と考えることで自分にとっての価値観を見える化する一つのやり方かもしれない。何かの価値を測るうえで、普段身近にある金銭的な尺度に置き換えてみるのも面白い。

たとえば50億年の地球の歴史から見た時の2500年前という時代が地球にとってどれくらい最近のことなのかを見える化するには、自分が50億円持っているとしたときの2500円の額の小ささで考えてみればいいとタレントのタモリさんは言っていた。自分のお小遣いが50億円あったなら、2500円など誰かにあげちゃっても惜しくないくらい小さな額だということだ。何かを比較するときにその単位を「円」に変えるだけで見えてくるものがあるというのは、いかにも現代人らしいと可笑しくなるのだ。