先日の朝、起きてテレビをつけたら燃え上がるパリのノートルダム大聖堂の映像が目に飛び込んできた。パリの中心部に、シテ島にあるそれは歴史ある遺産として世界的に有名だ。シテは英語のcityの語源ともいわれ、古くからパリの発展の中心となったところらしい(先日テレビ番組でやっていた)。ボクはパリを訪れたことがないので実物を見たことはないのだが、テレビや映画では何度も見たことがあるし、その形は現在の東京都庁のモデルとなったともいわれている。

古い遺産が被害に遭うケースは日本でも多い。奈良・東大寺の大仏殿は建立された奈良時代以降何度も火災に遭っているし、昭和になってからも京都の鹿苑寺・金閣は放火によって全焼してしまった過去がある。奈良の法隆寺・金堂も火災に遭っているし、最近では熊本城が地震で大きな被害を受けた。震災後、熊本を訪れて大規模に崩落してしまった石垣を目の当たりにして「形あるものはいつか壊れる」ということを実感させられた。
幸い金閣も法隆寺も再建され、熊本城も再建の途上にある。だが古い時代に作られたオリジナルは失われてしまった。しかし中国の万里の長城やヨーロッパの古い建物をはじめ日本の遺産も、時代ごとに修復を繰り返してきた。日光の東照宮も現在、修復工事が進んでいる。ヨーロッパの古い都市を歩いていると多くの建物で常に修復工事が行われていて、常にどこかが工事中だ。

修復したり再建できるものは再建されるだろうが、それはすべての建材や技術が建設当時のものではないことがある。過去に戦争で破壊されてしまった東欧の町で、崩れ落ちたレンガをかき集めて壊れる前の町を再び作り上げたところもあるという。復元された街並みはとても美しく住んでいる人たちも満足げだった。そう考えると、オリジナルが失われてしまったことにはどんな意味があったのかということに思いを巡らさずにはいられない。

以前にヨーロッパのどこかの小さな町で、古い教会にあった聖母マリアの絵画が地元の主婦によって修復されたというニュースがあった。その姿はオリジナル作品の面影もないものに変わっていた。そのニュースを見た多くの日本人は「これは酷い!」という声を上げていた。ところが地元の人たちは意外にも「絵を綺麗にしてくれてありがとう」と感謝する人が多かったのだという。それはもしかしたら”絵の価値”というものではなく、絵が古くからその教会にあったことが、祈りを捧げる地元の人にとって大きなよりどころとなっていたのかもしれない。オリジナルの絵が大切なのではなく、教会にマリア様の絵があることが大切だったということだ。お世辞にも宗教というものに、それほど熱心ではない日本人には理解しがたいことだが、祈りというものが生活の一部になっている人たちにとっては、いいことだったということだ。

形は失われても思い出やその精神は残る。その点では人の心やスキル、信念も、本人がそれを許さない限り他人に奪われることはないし壊されてしまうこともない。自分自身の心持ち一つなのだと思う。古い物だけに価値があるわけではない。古くから姿かたちを少しずつ変えながらも、脈々と受け継がれてきたそのことに大きな価値があるのではないかと思うのだ。