誰でも明日のことを考えることはあるだろう。明日どころか1年先5年先10年先のことを想像することさえ普通にあることだと思う。人間が他の動物と違うのは”言葉を使う”という点だということは以前にもここに書いた。今のところヒト以外の動物が明日のことを考えて行動していることを示す明確な根拠は見つかっていない。過去の経験による記憶と今のことだけを考えて行動していると思われている。恐らく”明日”という概念すらないのではないだろうか。試しにあなたも言葉を使わずに身振り手振りだけで他の誰かに”明日”というものを伝えてみて欲しい。あなたなら”明日”をどう表現するだろうか。

ヒトを含めて動物が生きていくために具体的な経験や記憶に基づく行動は必要不可欠だ。何かで失敗すれば次からはそれを改めて違う方法でアプローチするなり、そのこと自体を避けて通ったりする。もしかしたら動物も「次はどうやったら上手くやれるのか」と考えたりするのだろうか。そもそも外から何のインプットもない時に何かを考えていたりするのだろうか。何かの刺激やインプットがあった時にそのことに反応する姿はよく目にする。例えば餌を用意すると普段はまったくいうことを聞かない犬や猫でも一目散に駆け寄って来たりするし、散歩用のリードを出してくると妙にはしゃいだりする。それは具体的なインプットに対する反応だ。

しかし犬や猫も寝ているときに寝言のような声を出すことがある。あれは夢を見ているのだろうか。夢と意識の関係は昔から科学者の研究対象として有名だが、言葉を持たない動物でも単に”思い出す”ということではなく、抽象的なことを考えることがあるのだろうか。犬や猫が「明日は晴れるかなぁ」などと考えているのだとしたらそれはとっても興味深い。

一方で動物は自分の将来のことに思いを巡らせることはあるのだろうか。最近ではペットを家族のように扱い、擬人的に話しかけたりしている人もよく見かける。そういった人たちから見ればペットにも言葉がありヒトと同じように考えたり想像したりしていると考えることは自然だと思う。小さな子供は、いや一部の大人でさえぬいぐるみには命が宿っていると信じている。たぶん誰でも子供の頃には自分の持っていたおもちゃにも心があると信じていた時期があったのではないだろうか。

先日、テレビを見ていたらこんな話をしていた。ヒトの意識は”2階建ての構造”になっていると。1階部分は具体的な経験や行動、寒い痛いといった感覚などのリアルな刺激に対する反応が司っている。そして2階部分は言語を中心に出来上がっている部分で、感情や信念、そして未来のことを考えたり想像したりするところなのだという。”考えること”というのは”言葉”があって初めて成り立つものだと考えられている。冒頭で書いたように「明日」という簡単な概念さえ言葉なしでは考えることが難しい。目に見えないものを創造したりイメージすることは抽象的な概念であり、具体的な体験や経験の上に築かれるものなのだろう。それが2階建て構造ということの意味なのではないかと思っている。

”信念”というものがある。文字通り”信じて念ずる”ことだ。ボクは、”自分がこうなりたい”と思ったことを実現するために自分の心に念じて行動することなのだと思っている。自分が信じていないことなど絶対に実現しない。心の底から”こうなりたい”と思うなら誰に何を言われようと自分を信じて行動するしかない。しかしそれは猪突猛進とは違う。

人が夢を語ると多くの人は「そんなことは無理に決まってる」「できるわけがない」と根拠なく否定する。しかし自分が考え抜いて信じた事ならいわれのない後ろ向きな意見になど耳を貸す必要はない。 しかし中には「頑張れ!」と応援してくれる人がいる。 応援してくれる人が「それならばこういうやり方もある」と助言してくれることもある。それに対して自分の考えだけに固執する必要はない。いいアイデアならそれを取り入れるかどうかを自分で考えてみればいいのだ。

会社の会議でも趣味の集まりでも、何かのアイデアに対して9割の人は否定的な意見を述べる。応援してくれる人はほんの一握りだ。しかし自分の信念に後ろ向きな意見に惑わされる必要はない。自分の信念に従って常に行動することこそが夢を実現するための原動力なのだから。