inbound(インバウンド)は「上りの」や「本国に向かう」という意味から日本では”向こうからかかってくる電話”や”日本にやって来る人”を意味する言葉になっている。数年前から日本にやってくる外国人観光客はうなぎのぼりで、東京都心の繁華街ばかりか北海道から沖縄まで、ちょっとした観光地でも外国人旅行客で溢れかえっている。そのおかげで中国人の”爆買い”などもあって一部の業界ではウハウハな状況らしい。かつて昭和の頃にニッポン人観光客がパリの街でブランド品の爆買いをしていた情景が彷彿とよみがえる。あの頃はニッポン人団体旅行客は”ノーキョーさん”と呼ばれて西洋人からバカにされていた。そう、あの悪名高き「農協」の団体旅行だ。

道路にタンを吐く、団体で道いっぱいに広がっておしゃべりをしながら他人の迷惑など考えずにシャンゼリゼを歩く、ゴミをポイ捨てする、などなど、当時の日本人は後進国にありがちな悪行の限りを尽くしていた。あれから50年、今度は日本に外国人が押し寄せるようになった。もっとも最近の外国人観光客はかつての悪評高かった日本人の団体旅行客よりも格段にお行儀はいい。もちろん文化の違いや理解不足から誤解を招く行為がないわけではないが、東京あたりではまぁ許容できる範囲だ。

問題は日本側の受け入れ態勢ではないだろうか。日本はすでに人口減少時代を迎え、大都市圏への人口集中によって地方都市の過疎化や大都市圏でも空き家問題が起きている。ほんのごく一部の自治体を除けば全国で「村おこし」「町おこし」の大合唱だ。人口が減れば税収も減るが、インフラや行政サービスの衰退は許さないという住民のわがままで地方財政はどこもひっ迫している。そんな中から「ふるさと納税」のような仕組みも出てきたのだろう。それに対して政府は地方自治体にイチャモンをつけたりしているが”やむにやまれず”というところもあるに違いない。もっともあまりにえげつないやり方をしている一部の自治体は非難されても仕方ない部分はあるとは思う、が…。

せっかく「クール・ジャパン」だといって外国から観光客が来てくれるのだからこのチャンスを逃す手はない、とばかりに全国の観光地では、いや観光地に限らずあちこちの町で”インバウンド需要で町おこし”を展開している。駅や街中には外国語の看板が溢れ、観光客向けに食べ歩き用の食べ物を提供する店も増えた。日本に不慣れな外国人のために規制も増え、それを知らせる看板も随所に立てられた。正直なところ風情もへったくれもなくなったところは山ほどある。もっとも今では国内に住んでいる日本人も非常識な振る舞いをする人間が多いので単純にインバウンドのせいだけとは言えない部分もあるけれども。

しかしだ、外人観光客で外貨を稼ぐというより町や村の収入を増やすことだけを考えるあまり、そこに住んでいる元々の住民たちの生活をないがしろにしていることはないだろうか。外からやってくる観光客のためには必要以上に道路を整備し観光施設を充実させるが、住人たちが普段買い物に行く商店街はすっかり寂れて生活も不便になっていたりする。公共交通機関も軒並み廃止されている。公園に立派な公衆トイレを作ったはいいがその管理は周辺の住民任せにしていたりする。もちろん家の近くの公衆トイレが汚いのは嫌だから住民たちも仕方なくボランティアで掃除をしたりするが、それは観光客のためにやっている住民の負担だ。住民は家の近くを公衆トイレを使ったりしない。

インバウンドで儲けることばかりを考えて地元民不在で暮らしにくくなる行政の観光策を、今こそ少し冷静な目で見つめてみることも必要ではないだろうか。もちろん町や村の外からたくさんの人がやって来てくれることはありがたいことだと思う。しかし外国人や他県の観光客が来てお金を落としてくれるなら、そこに住んでいる地元民の生活はどうなってもいいのかとも思う。

地方行政が財政難なのはわかるが、なりふり構わず観光対策ばかりをすれば地元の生活は崩壊してしまう。行政の優先順位は第一が地元民の暮らしであり、その上での町おこしであるべきではないのだろうか。多くの人が何が一番大切なのかを見失っているような気がする。目的と手段が入れ替わってしまっているようにも見える。流行に乗って目の前のニンジンに食いつく前に地に、足の着いた地味でも長続きする方針をみんなで考えるべき時に来ているような気がする。