ボヘミアン・ラプソディ、インスタ映え、ネット通販、ポケモン、アナ雪、ガンダム、ヨン様、ガングロ、ルーズソックス、ナタデココ、ポケベル、クレープ、紅茶キノコ、ぶら下がり健康法、アメリカンクラッカー、ラテンミュージック、ミニスカートetc、今までも数限りないブームがあった。流行っては廃れ流行っては廃れている。熱しやすく冷めやすい日本人だから余計にブームが多いのだろうか。他の民族の事情はよく分からないので何とも言えないが、日本では何かのきっかけで火がつくと猛烈な勢いで燃え盛ることがある。

キッカケはテレビだったりゲームだったりいろいろだが、その多くは広告代理店の仕掛けたキャンペーンの罠だ。ブームは起きるのではなく間違いなく誰かによって起こされている。誰かが得をしようとして仕掛けた罠にかかった大衆が何も知らずに騒いで煽り立ててくれることでそのオコボレにあずかる人も出てくる。いやいいのだ。別に悪いことではないしブームに乗って楽しいのなら楽しめばいいと思う。

ブームはいわゆる商品のライフサイクルとは基本的に違う。商品のライフサイクルは、商品が開発され世に出てから黎明期・成長期を経て、安定期・衰退期をたどりやがて姿を消すまでのサイクルのことをいう。発表されてすぐはいわゆる”一部のモノ好き”だけが飛びつくが、やがてある程度の割合の人が使い始めると「我も我も」と人が集まり始めて成長期を迎える。もっともこの成長期を迎えることなく消滅してしまう商品の方が圧倒的に多いのだがそれはまた別の問題だ。

成長期を過ぎて商品に目新しさがなくなった頃になると”リスク回避型”の人や買い替え需要などが中心となって大きく売上が伸びることはない。やがて新しい商品に飲み込まれるようにして商品はその一生を終える。そのサイクルの長さは商品によって様々で、数か月でなくなってしまうものもあれば数十年経っても安定期を維持するものもある。特に技術革新のスピードが遅いものはサイクルが長くなる。

しかしブームはライフサイクルに関係なく起きる。もちろんほとんどの場合は起きない。それは作為的に起こされなければ起きないし、起こそうと思ってもそう簡単には起きない。ところが大したキッカケもないのに一気にブームに火がつくことがある。それは偶然にせよなんにせよ、多くの人の視線が同じ方向を向いたことによって起きる。広告代理店などはメディアやキャンペーンで強引に視線を集めてブームを起こす。「他の人と同じのはイヤ」と言いながらその実、他の人と同じだと安心するという日本人の特徴をうまく利用している。だからブームが過ぎ去った後には「何であんなものに夢中になってたんだろう?」と不思議な気持ちにもなるのだ。それはいわゆる”マイブーム”にも当てはまる。

今まで数々のブームがやってきては去っていった。ブームもそれに興味のある人は夢中になるがそうでない人にはどうでもいいしツマラナイ。すべての人が興味を持って夢中になるものなどない。

話は脱線するが、先日の新元号発表騒ぎにはちょっと感動した。いや元号にではない。最近の日本で老若男女、これほどまでに多くの人に注目された出来事はあっただろうか。サッカーのワールドカップだってイチローの引退だって、いや2020東京オリンピックだって興味のない人はいくらでもいる。それが2019年4月1日午前11時30分過ぎ、新元号の予想に熱心だった人もそうでなかった人も、菅官房長官が好きな人もそうでない人も、ほとんどの日本人が多かれ少なかれ関心を持って発表を待ったのだ。これほどまでに日本人が同じ方向を見た瞬間というのも久しくなかったことだと思う。するとこの騒ぎもブームと言えばブームだったのだろう。

ブームの中心になる人もブームになるものも、その対象が世代交代してしまえばそれでお終いだ。ブームの終焉である。「令和」という新しい時代を迎えようというときに起きたこのブーム。来月の1日に本当に元号が変わる瞬間にはこれほどの騒ぎは起きないと思っている。もう”結果”を知ってしまったからだ。もっとも昭和が平成に変わった時には「今朝から始まった元号は平成でした」という結果報告だったから、時代が変わったという瞬間を誰も意識しなかったのかもしれない。

流行したものは次の世代に受け継がれていくものもある。そうやって時には時代を超えてブームは続くように思われるが、それはもはやブームではない。レジェンドでありクラッシックなのだ。