ヒトはオオカミなどの天敵から身を守るために”自分が強くなる”という道ではなく、お互いがコミニュケーションして協力することによって外敵に打ち勝っていく道を選んだ。もちろんその選択に至るには長い時間と紆余曲折があったに違いない。ある説ではアフリカで樹上生活をしていたサルが、気候変動によって木が枯れてなくなってしまい地上生活を余儀なくされて二足歩行するようになって云々、という長いお話を聞いたこともあるが、その真偽の程はまだわからない。そもそも生物の形態変化にはそれなりの時間がかかるはずであり、一つの理由だけがそれに影響しているとは考えにくい。いずれにしてもヒトは武器という道具を手に入れて自らの形態を大きく変化させることなく地球上でもっとも繁殖に成功した哺乳類の一つとして君臨している。

先日テレビ番組で海洋生物の特集をしていた。そこには魚やカニ、ペンギン、アシカ、ゾウアザラシなどの大群やコロニーの様子が映し出されていた。中には数十万数百万という数で一か所に集結する生き物もある。しかし方やヒトを見れば数十万人数百万人の人口を持つ都市など世界中に限りなくある。間違いなく地球上で”成功した”生き物のひとつであることに異論をはさむ人はいないはずだ。

そしてヒトが他の生き物と違っているのは言葉によるコミニュケーションの深さではないだろうか。ヒト以外にも鳴き声(我々が聞けばそうとしか聞こえない)などによってコミニュケーションしている生き物はいると言われている。仮にそれらの生き物がコミニュケーションを取ることで生きていくために何らかの力になっていることがあったにせよ、それは今のところあくまで目の前にある現実に対する自分の意思表示であって、未来を語ることはないのではないかと思っている。それは人間が今開発しているAIについても同じことだろう。

人間も生きていくためにコミニュケーションしている。会社で上手く仕事をしたり、人間関係からはみ出さないようにしたり、ママ友や近所のお付き合いは大切なコミニュケーションだ。だが人間のコミニュケーションはそれだけにとどまらない。自分の夢や哲学・思想について誰かと議論することもある。それは一見、今の生活とは無縁な浮世離れした内容になってしまうこともある。しかしそれは必要のないことなんだろうか。確かに今日明日を生きる上でどうしても今話さなければならない内容ではないかもしれない。それでも時々人は普段の暮らしとは関係のなさそうなぼんやりとした話をすることがある。

ボクはそんなぼんやりした話が嫌いではない。あれもこれもしなければ、失敗しないためには、何とか得するにはと普段からギスギスと考えることはたくさんある。それは生きていく上で大切なことだ。しかしそんなことばかりの生活を続けているとそれ以外のことを考える余裕がなくなる。若い頃にはパンだけでお腹を満たして満腹になればそれでいいと思ったこともあった。確かにまずはお腹を満たすことが大切なのだが、人はパンだけを食べて生きているわけではない。たまにはケーキだって肉だって野菜だって魚だって食べたいと思う。最悪、パンがなければ雑草だって食べなければいけない。もちろんそれでお腹を壊してしまえば身も蓋もないが、食べれば雑草だって血となり肉となる。

今を快適に生きる事ばかりに執心することなく、世の中の小さな出来事から多くの事に想いを膨らませることができるように、あらゆることに偏見を持たないでこれからも平らかな視点で世の中を見ていきたいと思っている。それが「令和」となったこの時代にボクが「平成」から受け取ったバトンなのだと思っている。