先日、友人のSNSへの書き込みを見ていたら「あの人はめちゃめちゃ話が跳ぶので話題についていくのが大変」というようなことが書いてあった。話をしているときには何かの話題について述べていたり議論しているわけで、何の脈略もなく喋っているだけの人がいないわけではないけれど、話には何らかのストーリーがあることがほとんどだ。

それは趣味の話だったり、政治の話だったり、芸能人のスキャンダルだったり、自分の夢の話だったり、単なる愚痴だったりするのだが、そのストーリーには大抵同じ#ハッシュタグというか分類分けのマークがついている。それは単なる愚痴だったとしても#愚痴、#上司の愚痴、#亭主の愚痴、#部下の愚痴など様々だ。しかしそれぞれの話に”#愚痴”という同じタグが付いていれば「あれは上司の愚痴だな」と思って聞いているときに亭主の愚痴に話が展開していっても「今度は亭主の愚痴に発展していったな」と思って理解することが容易だ。

しかし人の話を聞いていても「今どうしてその話が出てくるの?」と思うことがある。「話が跳ぶ」というヤツだ。でも話している本人の中では関係のある話だから今話しているわけで、本人にとってみれば話は全然跳んでいなかったりする。その人の発想や連想に聞き手がついていけていないだけだ。

”#ハッシュタグ”は”連想”に似ている。一つのことに関連していることから他のことを思い浮かべるのは簡単だ。しかしそのこととは全く関係ないように思っていることを思い浮かべることは難しい。例えば東京オリンピックに関係している事柄なら”聖火リレー”や”オモテナシ”は簡単に連想できる。しかし”禁煙対策”はどうだろう。もちろん国際オリンピック委員会(IOC)は開催都市の受動喫煙対策が世界的に見ても遅れているとしてより厳しい規制を求めていることはニュースにもなっている。しかし単に”禁煙対策”として思い浮かべるのは路上喫煙の問題や飲食店での分煙・禁煙対応、受動喫煙、寝たばこ、未成年者喫煙の問題など東京オリンピックとの繋がりよりももっと強力に連想されることの方が多い。すると”東京オリンピック”の話をしているとき唐突に”禁煙は重大な問題だよ”と切り出しても、それがすぐにIOCの苦言と直結して考えられる人ばかりではない。だから「えっ?今オリンピックの話してるんだよね?」と思う人もいるはずだ。

連想することは、自分の中にある知識の引き出しの中から関係のありそうなものを引っ張り出してくるということに他ならない。それには自分が既に知っている知識に他との関連を示すタグが付けられていなければならない。しかし人それぞれに「ある事柄と関係がある」と思っているものは異なる。それは今までの人生の中での個人的な経験が、頭の中の知識に新たにタグを付けてきた結果だ。恐らく誰の頭の中でも一つの知識について何十、何百、何千というタグが付けられているに違いない。それを話題に応じて記憶の引き出しの奥から引っ張り出してくるのだから人間の頭とは恐るべき能力を持っている。

人は今まで知らなかった新しい知識を得たり、一つの知識に思いもしなかったことが関係していたりして驚いたり感動したりしたときに、その知識にとりわけ大きなタグを付ける。しかしそれを思い出すことが少なかったり記憶しているタグが増えてくると、タグ自体がボロボロになって小さくなったり取れてしまったりする。するともはや知識を関連付けるための手がかりがなくなってしまう。手がかりがなくなってしまえば他の人の話を聞いていても「どうして今、その話になるの?」と再び思うわけだ。所詮、人は忘れる動物だ。

しかし、一見、話が跳んでいるように見えても最後に適切な着地点に落ち着く話は聞いていて面白いしカッコいい。いわゆるひとつの「なぞかけ」のようなものだ。「~と掛けまして~と解きます」というヤツである。名人のなぞかけはその答えを聞くまで多くの人が思いつかないような発想をする。

古典落語でも似たような話がたくさん出てくる。噺家は数多くの稽古を積む中でその知識に多くのタグを付けているのだろう。それは物事の本質が関係していることに限らず、同じ発音をする別の言葉だったり、違った地方の似たような風習だったり、季節の移ろいだったりする。そのボキャブラリと知識の深さにはいつも驚かされている。ボクも常に素早く「整いました」と言えるような人間になりたいものである。