「エルトゥールル号」の話は近年になって日本でもマスコミが取り上げるようになって人々の知るところとなった。念のため触れておくと、1890年(明治23年)に明治天皇に謁見するために日本を訪れていたオスマントルコの使節団が乗ったエルトゥールル号はイスタンブールに帰る途中、折からの台風で和歌山県沖で座礁して爆発沈没した。600人もの乗組員が夜の海に放り出されたが、その中の何人かが泳いで灯台までたどり着いたところを灯台守に助けられた。それを知った地元の住民たちは漁民として同じ船乗りを助けるべく必死で救護にあたったのだという。その結果70名ほどが助け出され、その後助け出されたトルコ人たちは日本の軍艦によってイスタンブールまで送り届けられた。

その事件はオスマン帝国内でも広く知られることとなってトルコ人は遠い異郷の日本に好印象を抱くようになった。そのことは今でもトルコの小学校の教科書にも載っていて多くの子供たちも日本のことを親しみを持って語っている。

オスマン帝国といえば15世紀には東ローマ帝国を滅ぼし東ヨーロッパから黒海沿岸、北アフリカ、中東地域を広く支配した大強国である。常に世界中のどこかで侵略戦争をしていたと言われ、イスタンブールのトプカプ宮殿の門の前には旗を置くための台座が据えられ、オスマン軍が戦争をしているときにはここにオスマン帝国の旗が掲げられたという。その旗は常に掲げられていて永く仕舞われることはなかったらしい。

今でもヨーロッパでは子供が言うことを聞かない時には親が「(そんなことをしてると)トルコ人が来るよ!」と言って脅したりすることがあるという。実際のところはよくわからないがオスマンの軍隊は限りなく強く無慈悲で、侵略した土地の人間をことごとく惨殺して侵略したともいわれている。「トルコ人が来る」ということは「(いうことを聞かないと)殺される」にも等しい脅し文句だったのだろう。日本でも「鬼が来る」「悪魔が来る」「なまはげが来る」は小さな子供にとっては十分に恐怖に値する。向田邦子さん作の「阿修羅のごとく」という昭和のTVドラマがあった。番組の主題曲はトルコ軍の行進曲で「ジェッディン・デデン」という軍楽だった。子供ながらにおどろおどろしい印象の曲だった。

クロワッサンというパンがある。フランス語で”三日月”を意味しパイのように生地を重ねて焼いたパンだが、これも17世紀に神聖ローマ帝国やオーストリアなどの反オスマン連合軍がオスマン軍を打ち破ったお祝いにトルコ(=月)を食べるという意味で焼かれたと言い伝えられている。それほどまでにオスマン帝国は恐れられていた。

1980年代にイランイラク戦争という戦争が起こった。読んで字のごとく中東のイランとイラクの間の戦争だがその裏には例のごとく国連や列強諸国も複雑に絡んでいた。1985年には情勢が急激に緊迫し、イランは48時間後に上空を飛行する民間機を含むすべての飛行機を撃墜すると宣言する。イランの首都テヘランには大使館員や商社マンなど数百人の日本人が取り残された。他の国は素早く救援機を飛ばして自国民を救い出したが日本政府はグズグズしていて邦人を救出しなければいけないのに対応が遅れた。その上、安全上の理由から日本の航空会社はもとより日本政府は自衛隊機の派遣もしなかった。テヘランの日本人は完全に孤立した。その時に日本人の救出に救いの手を差し伸べたのがトルコだった。

当時のトルコ大統領が「日本人が困っている。今こそあの時の恩を返そう」と言った。”あの時”とはエルトゥールル号事件のことだ。100年近く前の事件のことをトルコ人は覚えていた。大統領はトルコの民間航空会社に指示を出し「テヘランの日本人を救出せよ」と指示した。48時間後というものの戦時下の話である。いつ撃墜されるかわからない状況の中をトルコ航空のパイロットは「日本人を助ける」という使命感のもとテヘランに向かった。そして期限の1時間ほど前にイラン上空を脱出してイスタンブールに帰り着いた。日本人は全員無事に救出された。
その後もトルコ人の多くは「あの時の借りを返しただけです」と語ったという。その時、テヘランにはまだ多くのトルコ人も残っていたのに「トルコ人は車でも逃げられるから」と日本人を優先した。

そんなことが関係しているのかどうかは分からないが観光でトルコの街中を歩いていると子供たちから「ハポネ?ハポネ?」とあちこちで声を掛けられる。「そうだ」と答えると握手を求めてくる子供もいる。

トルコは現在もEUに加盟していない。だから通貨はトルコリラだ。歩いていて喉が渇いたので何か飲もうと思ったがイスラム教の祝日でお店はすべて休みである。ところが”チャイ屋”は開いているのだ。チャイは英語のTeaでお茶のことだ。トルコ人はチャイが大好きで一日中チャイを飲んでいる。下町の路地裏のチャイ屋の前を通りかかるとやはり「ハポネ?」と声を掛けられた。「チャイを飲んでいかないか?」と言う。トルコリラを持っていないというと「そんなのいらない」と言う。そういう訳にもいかないので1ユーロ貨幣を出したら特大のカップに並々を注いだチャイを持ってきてくれた。トルコ語はまったくわからないが周りにいた人も集まってきてみんなで写真を撮った。楽しい時間だった。

トルコはイスラム教国で人種も粗野で凶暴な人のように報道され何となくそう感じている日本人も多い。最近ではテロや大統領の独裁政権で暗いニュースも多い。しかし、街で会った普通のトルコ人たちは日本人にとても優しい人たちだった。やっと1軒だけ見つけたドネルケバブ屋でもケバブをユーロで売ってくれて店員の若者と写真も撮った。

日本人は昔から外交が下手だといわれている。中国や韓国との関係悪化も話題になって久しい。しかし政府と政府の間ではどんなに仲が悪くても”会えば人と人”である。トルコ人が今でも日本人に優しいように日本人も多くの外国人と分け隔てなくこれからも優しく付き合っていくことができるはずだ 。