最近何かとマスコミが話題にしている児童虐待事件から政府は早急な対策を求められている。社会的に周知が進んでマスコミが大騒ぎするようになったために通報される件数が増えて事件が急増しているように感じられるが、児童虐待自体は昔から変わってはいない。しかし多くの人が関心を持って悲惨な事件を少しでも防ぐことができるのならそれはいいことだと思う。一方で政府の示している対策は旧態依然としており抜本的な対策とは程遠い。自分の子供に対する体罰の禁止は実効性を別にすればいいとしても、児童相談所の数を増やそうとしたり体制を強化するというのは何を示しているのだろう。

ボクは児童相談所や児童福祉施設に勤めたこともなければ関わったこともない。しかし親しい人に関係者がいたので実情だけは耳に入っていた。その現場が肉体的にも精神的にも過酷であろうことは容易に想像がつく。そればかりか職員などには人間的な特性が求められるのも当然だろう。誰がやってもいいものではないし誰にでもできることではないはずだ。それは保育園や幼稚園の保育士もそうだし学校の先生にしても同じだ。一人一人が全く異なる子供を相手にするのだから当然だ。しかし小中高の学校教育を見ればわかるように教師になるための適性検査は行われず、専門教育は大学の教職課程がせいぜいで採用試験に合格すれば誰でも教員になれる。そんな現状に慣らされているせいか政府は児童相談所の数を増やして頭数を増やせばすぐに解決すると思っているフシがある。いったい増やした児童相談所を誰がやるのか考えてもいない。

現状でも公務員である児童相談所の職員、特に階層が上の管理職では児童福祉の経験に乏しい人間が持ち回り人事のために赴任してくることが普通だ。誰かを責任者にしておかなければいけないからやったことがない人間でも平気で赴任させる。現場で直接関わっている職員にしてみれば”現場を知らない”上司が来ることからして迷惑以外の何ものでもない。しかしそのまた上の中央の担当者には事務職公務員としての経験しかなく”頭数をそろえる”ことばかり考えている。そんな特殊な仕事をほんの少し座学の研修を受けただけの人間に出来るわけがない。

人手と人材は違う。頭数だけ揃えばいいのは映画のエキストラの”群衆”くらいだ。いやそんなことを言ってはエキストラの人に失礼かもしれない。最近は産業界でも人手不足が叫ばれているがボクが小学生だった50年ほど前も高度経済成長の余波で人手不足が深刻だった。「土方(どかた)の穴掘り」などと他人の職業をバカにしたようにいう大人もいたが、穴掘りには穴掘りの技術が必要だ。周りの土を崩さず必要な大きさの穴をきっちり掘るのは熟練の技だ。ブロック塀を積む左官職人の仕事を夏休みに何日もずっと見ていたことがある。時折、職人のオジサンに「ボウズ、やってみるか?」と言われて手伝ったことがある。しかし勝手口のたたきのセメントを平らに滑らかに塗るのがどれほど難しいことかやったものでなければわかるまい。最後はぐちゃぐちゃになった現場を綺麗に整えて仕上げて帰っていった左官職人の背中が何とカッコよく見えた事か。それがプロの仕事だ。

昔、コンピュータシステムのプロジェクトが遅延して困っていた時に現場を何もわかっていない上司が突然現れて工期の遅れ目の当たりにして言った。「あと何人いればいいんだ?」といきなり訊いてきた。どうせ細かいことを説明してもそんな上司に理解できるとは思えなかったので「現場の事情をよくわかっていて高い技術を持っている優秀で根性のあるヤツを3人ください」と答えたら「自分で探せ」といわれた。現場でどんな人材を必要としているのかさえ分からない人間だった。まったく役立たずの上司だ。これではプロマネにすらなれない。

どこの現場でも人手が欲しいのではない。人材が欲しいのだ。人手なら猫の手で十分だ。現場の悩みは何十年経っても変わらない。