「ウソは泥棒の始まり」とは子供の頃によく言われたことだ。事実に小さな綻びを作ってしまうとそれはやがて大きく広がってしまい大きな穴が開いて取り返しのつかないことになってしまう。”ウソをつく”ことは小さな悪のように思って軽い気持ちでやってしまいがちだが仕舞には泥棒をはたらくような巨悪になってしまうから努々気をつけなければいけないという戒めだ。小さな綻びができるとあっという間に広がってしまうことは普段の生活の中でも時々見かける。ストッキングの伝線や編み物のほつれが全体の破綻に繋がることもある。

「面倒くさい」と思うのは老化の始まりである。どうして面倒くさいと思うのかといえばやりたくもないことをやらなければいけないというモチベーションの低さが大きな原因の一つだろう。何もする気が起きなくなるのは意欲の低下だ。齢を重ねるに従って知らないことは減ってくる。何をすればどんな結果になるか大体の予測がつくようになる。やった結果がどうなるのかがやる前から分かってしまえば好奇心はなくなる。好奇心はすべての行動のための大きな原動力である。原動力がなくなるので意欲がなくなるのだ。何もする気が起きなくなった時に”やらなければいけないこと”がそこにあるのだから嫌々ながらやることになる。だから面倒くさいのだ。

歳をとると今言ったようにあらゆるものに好奇心がなくなり興味が持てなくなる。興味がなくなって何もやらなくなると頭や体が働かなくなる。とりわけ普段から面倒くさいと思い始めると頭も体も使わなくなる。使わなければ体の機能は劣化する。劣化するといろいろなことを同時にできなくなる。同時にこなせなくなると何をするにも時間がかかるようになる。そうなってしまうともっと面倒くさくなって益々やらなくなる。脳と体の負の連鎖、悪循環だ。

「あぁ面倒くさい」と思った時こそそのまま老化の坂を転がり落ちていくか何とかそこに踏みとどまれるかの分岐点だともいえる。面倒くさいと思ったことを「これをやることが老化を遅らせるトレーニングなのだ」と思えば、お金を払って効くわけもない健康食品を買ったり時間をかけてフィットネスジムに通うよりもずっと手軽な頭と体の体操になるのだと思えば「他にも面倒くさいことはないかな」とわざわざ探してまでやろうと思うかもしれない。

流石にそこまでして面倒くさいことに取り組もうとする人はいないだろうが、”面倒なこと”と”面倒くさいこと”はまったく別のものだ。”面倒なこと”とは解決することが比較的難しく誰にでもできることではないことが多い。しかし”面倒くさいこと”は多くの場合は誰にでもできる簡単で単純な作業であることがほとんどだ。「面倒くさがらずにやりましょう」というのは難しいことに頑張って取り組みましょうと言っているのではない。簡単で誰にでもできることなのだからすぐにやりましょうと言っているだけだ。そこで「やろう!」というモチベーションを作り出すために「ボケ防止のためだ」という理由があれば少しはヤル気も出るのではないだろうか。

面倒くさいと思わずにやり続けて脳と体の劣化を最小限に防ぎたいと思うのかボケの坂を転がり落ちていくのかは個人の勝手だ。それに既に劣化が進行してしまっているなら面倒くさいと思ったことでも敢えて進んでやるようにして少しでも能力を復活させたほうが残された自分の人生をエンジョイできるかもしれない。人生を楽しみたいのかボーッとしても生きてさえいればいいと思うのかは個人の価値観だから他人がとやかく言うことではないが、ボクはこの先に退屈で何もできることのないボヤけた生活を続けたいとは思わないのでこれからも面倒くさいことに前向きに取り組もうと思っている。