古いものがリバイバルすることがある。昭和の中頃にもラテン音楽ブームやミニスカートブームがあったらしい。しかし昭和50年代に青春時代を送っていたボクたちに昭和30年代に流行したというマンボやルンバは馴染みがなかった。その頃の女子高生はくるぶしまであるような制服のスカートを履いていたし街に出ても膝を見せている女性などほとんどいなかった(ように思う)。しかしそれから数年後、制服のスカートを極端に短くしたファッションがごく一部で出始めた。それはどういうわけか数年の間にJKすべての流行になり、あれから30年経った今でも続いている。

もっともかつて流行ったというミニスカブームの時は今のJKのスカートほど過激ではなかったらしいが、制服をミニスカにしたJKたちにとっては恐らく生まれて初めてみた”ミニスカ”に「こんなものがあったのか」と思わせるに足る衝撃だったのだろう。オジサンから見れば「寒くないのかねぇ」などと心配になってしまうが当の本人たちは若さゆえに中高年のオジサンオバサンの心配などどこ吹く風だ。

音楽に話を戻せば最近映画の影響で狂ったように流行したクイーンも1960年代に世界中を席巻したビートルズも今の若者は知らなかった。クイーンなどは当時を知るボクたちから見れば”懐メロ”の一つであって「懐かしいな」とは思うがそれ以上でもそれ以下でもない。当時からクイーンが飛び抜けて優れていたとは思わないし他にも魅力的なバンドはいくつもあった。しかしボクらと同じ世代でもクイーンの名前は知っていてもそれほど相手にしていなかった人たちにしてみれば映画がきっかけとなって初めてクイーンの魅力に気づいた人も多かったに違いない。

つまり彼らは今の若者と同じようにクイーンというものに人生で初めて触れたに等しい。かつて通りがかりにレコード屋の前で耳にすることはあっても(その程度にクイーンは流行っていた)興味を持って聴き込むことがなければ入り込むことはないだろう。人が興味を持って深く入り込める対象などそんなに多いものではない。実際のところボクだって興味がないもののことはほとんど知らないし知ろうとも思わない。こんな仕事をしていながらあまり褒められたことではないが、人の興味の限界などその程度のものである。

しかし何らかのきっかけで知らなかったことを知り興味を持った時には、それが新しい刺激となって心を動かすことは多分にある。そもそも今も昔も、世間の誰もが初めて知ることなどあまりないのだ。多少は形が変わったにせよ世の中の多くのことはかつてどこかで誰かが好きになった魅力あるコンテンツであることが多い。だから自分が初めて知った時には新しい刺激になってマイブームになる。そんな人がたくさんいれば古い時代を知っている人から見ればいわゆる”リバイバル”ということになるが、今を生きている人にはリバイバルでも何でもない。初体験なのだ。

「翔んで埼玉」という映画があるらしい。原作の漫画は何十年も前のものらしい。千葉・茨城を「ちばらぎ」、埼玉県が「だサイタマ」と言われて当時の若者の間でちょっとバカにされていた時代を知らない若者には新しい刺激なのかもしれない。実際に当時流行していた”暴走族”にしても”ちばらぎ”や埼玉はもとより北関東に行けばベニヤ板をノコギリで切って自作した”エアロパーツ”に自分でスプレーで塗装し、シャコタン(サスペンションのスプリングを短くして車高を低くした車)の車に取り付けた暴走族をあちこちで見かけたものである。それは見方によってはちょっと”ダサい”代物だった。

そんな時代を知らない今の若者にして見ればどうして”北関東”や”埼玉”が色眼鏡で見られるのかわからないだろう。特に千葉県などは湾岸地域や外房などの魅力的な地域があるのだから想像もできないだろう。まぁかつてそんな時代もあったということだ。

何事でも”知らないものは見えない”のだ。そもそも自分が知らなかったり興味がなければければ気づくことさえできない。日常生活の中でも何気なくたくさんのことや物を見ているはずだ。しかし視界に入ったり耳にしたそれらの事柄の多くも自分が知らないことには気付くことさえないことがほとんどだ。知らないものは見えない、知らないことには気づかない。ほんの少しでも興味を持って少しだけ深く知ろうと努力することで日常生活の中でももっとたくさんのことが見えてくるのかもしれないと思う時、ただ惰性で無為に過ごしてきた時間を残念に思うのだが、もう過ぎ去った時間を取り戻すことはできない。