そこまで行って初めて見える景色

「水平線効果」というのを聞いたことがあるだろうか。ボクは最近になって初めて聞いたような気がする。冬の晴れた朝、海岸線の岸壁の上から見た遥か遠くの水平線に一隻の船が浮かんでいる。岸からは小さく見えるが実際にはかなり大きな船なのだろう。その船は次第に岸から遠ざかっているようで、船の下の方から水平線の向こうへ姿を消してゆく。そんな話が小学校の理科の教科書に載っていたように思うが、果たしてあれは本当なのだろうか。地球は丸いのだから理論上はそうなるのだが、実際にそんな光景を肉眼で見ることはできるのだろうか。何年か前にそんな話を海で知り合った友人と語り合ったことがある。「じゃあ確かめよう!」ということになり朝から夕方まで水平線の船を眺め続けたことがあった。そして出した結論は「オカザキは正しかった」ということだ。

オカザキというのはその友人の小学生時代の同級生の女の子だった。ハキハキと話し成績もよい優等生だった彼女は学校で理科の時間に先生の質問にそう答えたという。「本当かぁ?本で読んだからそう思いこんでるだけじゃないのかぁ?」とその友人はオカザキに疑いの目を向けたらしい。いい機会だ、オカザキが正しかったのかどうか50年も経ってしまったが確かめてやる、と鼻息も荒く叫んだのだ。

コペルニクス以来、地球は丸いので水平線の先の景色は見えないことになっている。だから旅人は、虹の向こう側にはそれまでとは違う新しい景色が見えるはずだと信じて歩き続ける。そこまで辿り着いた人にだけその先の景色を見ることができるのだ。恐らくボクたちは今まで見たことがないその景色が見るために人生を生きている。

以前、ゲームには完全情報ゲームと不完全情報ゲームがあるということを書いた。完全情報ゲームとは将棋や囲碁のようにその場面を見ただけで自分にも相手にも今までにやってきた結果のすべてが分かるゲームのことをいう。一方の不完全情報ゲームでは麻雀やババ抜き、ポーカーのようにまだ明らかにされていない牌やカードがあり敵にも味方にも不確定な要素のあるゲームを指す。完全情報ゲームでは今のすべての情報を知ることはできるがこの先どのような展開が待っているのかはわからない。いや分かるのかもしれないがあまりにも選べる選択肢が多すぎて人間の頭で考えつくすことはほぼ不可能だ。しかし将棋や囲碁でも数手先、プロ棋士なら数十手先までの展開を考えることはできるだろう。そして実際のゲームが数手先まで進んだ時にはまた更にその先の数手を考えることができるようになる。

つまり頭の中には数手先に数十手先に水平線があることになる。最初は一手先、二手先までしか想像できなかったものが慣れてくると数手先まで見えるようになる。そして訓練を積むうちに十手先、二十手先まで考えられるようになるのだ。海の水平線までの距離は変わらないが頭の中の水平線までの距離は訓練することで変えることができる。訓練次第でより遠くまで見通すことができるようになるのだ。

これは人生やビジネスにとってとても有用なスキルだといえる。他の人が3日先までのことしかわからないことを自分は1か月先まで想像できるとしたら、今この時に舵を切る方向は変わってくるのではないだろうか。アクセルの踏み込み方も違ってくるのではないだろうか。

会社でも役員や社長に成った人が見る景色は平社員の見る景色とは違うという。それは訓練を積んで”その先”を見通す能力が身に付いているかいないかの違いではないだろうか。人の眼は「遠くを見よう」と思ってもそう簡単に視力は良くならない。しかし人の頭は「もっと先のことを考えよう」と努力すれば誰でも確実にそのスキルを身に着けることができる。大した努力は必要ない。いつもよりちょっと先のことを考えようとするだけだ。そして自分が身に着けたスキルは決して誰にも奪われることはない。思う存分他の誰かに配って歩けばいい。そうすることであなたのスキルはさらに向上していくのだ。

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