判官びいき

子供の頃から何度も聞いていた言葉だが、長い間「判官びいき」という言葉の意味を知らずにいた。”判官”という字を見ると判事の”判”や官僚の”官”という字が使われているから権力者におもねって”強気を助け弱気をくじく”嫌なヤツのことかと思っていた。特に日本人は権力者が大好きである。制服を着ている人の言うことは無条件に聞くし社長やお金持ちには逆らわない。「だから日本人は判官びいきと言われても仕方ないよな」と思っていた。しかしいろいろな場面で聞くにつけ「どうやら違うみたいだぞ」と思って今頃になってようやく辞書を引いてみた。

【判官贔屓】ほうがん(はんがん)びいき、源義経の不幸な運命に対する同情心から弱い者に同情すること。

まったく逆の意味だった。言い訳をするようだが(単なる言い訳だが)どうも変だと思っていた。辻褄が合わないと思っていた。判官は源義朝の九男だった源義経の役職で、いわゆる呼び名は「源九郎判官義経(みなもとのくろうほうがんよしつね)」である。ご存知のように義経は幼名を牛若丸といい、若い頃には京都の三条大橋の上で弁慶と決闘をしたという伝説も残っている(ウソかホントかは分からない)。大人になってからはあの有名な壇ノ浦の源平合戦で平氏を滅ぼした功績を朝廷から称えられて官位をもらった。それを心が狭い兄の源頼朝が「俺に断りもなく」と妬んで意地悪をしたとされ、最後には兄から追討令を受けて追い詰められて奥州・平泉で自害したと伝えられている。が一説には、実は義経は死んでおらず青森県から大陸に逃げ延びてモンゴルで成吉思汗(ジンギスカン)になったという伝説を生んだのも判官びいきから生まれた「義経不死伝説」が広まっていったからかもしれない。

言葉はこのようにちゃんと知っていないととんでもない間違いのもとになることがある。例えば「確信犯」という言葉がある。「あいつは確信犯だね」などと使われることが多い。このときには「自分でやっていることが悪いことだと知りつつ犯罪を犯す者」という意味で使われることが多いが、これも辞書には

【確信犯】かくしんはん、政治上・思想上などの信念に基づいて正しいと信じて行う犯罪。

とされていて意味は正反対だ。もっとも「確信犯」に関しては「悪いとわかっていて罪を犯す人」という誤用があまりにも多かったので現在の辞書には両方の正反対の意味が載っている。だから今では「確信犯」という言葉を聞いたら前後の文脈からどちらの意味なのかを類推する必要があるわけだ。今では99%が誤用である後者の意味で使われることが多い。

最近は「ヤバい!」と言うと”Great!”の意味で使われることがある。ボクたちが子供の頃の「ヤバい!」は何かにしくじってニッチもサッチもいかない状況や、悪いことをしたことが先生にバレて逃げるときに「ヤベっ!逃げろ!」という場面で使われていた。しかし今では「ライブ、どうだった?」「ちょ~ヤベっすよ!」などといわれるので「何が起こったの?」と聞き返したくなったりするのだ。これも意味としては正反対に変化したわけである。このように言葉の意味が逆転してしまうケースは時々見られる。そう考えると「バカと天才は紙一重」というのもあながち否定できないのである。

「この野菜は生でも食べられるの?」と訊いた時に「全然ありです」などと言われると「”全然”の後は否定形が続くんだよっ!」などと、かつては口うるさく咎めたりしていたものだが今では自分でも「全然いいじゃん!」などと言っていたりする。日本語は語尾まで聞かないと肯定なのか否定なのかが分からない言葉だが、この”全然”だけは話の途中でも否定形が分かる数少ない言葉だった。しかし今では否定でも肯定でも普通に使われる言葉になってしまったので、結局最後まで聞かないと結論が分からなくなってしまった。それでも「全然だよ!」などと言われると「いいのか悪いのかハッキリせい!」と言いたくなってしまう。

言葉の意味が曖昧になった分、自分が使う言葉には最後まで責任を持って欲しいものである。中途半端な言葉遣いがコミニュケーションの障害を引き起こしている元凶だと思うのだ。自分たちだけが「とてもいい」と思っていても、世代が違う人間に伝えるには言葉に最後まで責任を持って使わないと意味が通じないようにしてしまったのは、外ならぬ今を生きている若者たちなのだから。

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