インスタントラーメン

NHKの朝ドラで日清食品創業者の安藤百福(あんどうももふく)の半生を描いたドラマをやっている。あの「日清チキンラーメン」を開発した人だ。今でもスーパーやコンビニで販売されているロングセラー商品である。ボクが子供の頃にも当然販売されていたはずなのだが、わが家では主に「サッポロ一番」のインスタントラーメンが幅を利かせておりチキンラーメンの存在を知ったのは中学生くらいになってからだったと思う。それまではインスタントラーメンは鍋で茹でるものだと思っていたので「お湯をかけるだけ」というものをにわかに信用できなかった記憶がある。

その頃には「カップヌードル」が発売されていたので”お湯をかけて食べる”ものは知っていたはずなのだが、家で、ドンブリで、お湯をかけて食べるというのはあまり料理っぽくないと感じていたのかもしれない。事実、カップヌードルはボクら中学生にとっては”おやつ”的な存在だった。

ボクが生まれる以前の昭和20年代から30年代初頭、ラーメンはラーメン屋で食べるものとされていたらしい。家でラーメンを作ることなどできるわけがないと思われていたらしい。もっとも今でも家でラーメンを、麺やスープからすべてを自前で作るにはそれ相当の手間がかかる。手軽に食べられるものではない。もっとも今でこそ”中華生麺”や”スープの素”はスーパーでも売られているから簡単に作ることはできるがそれも「即席ラーメン」の発想があってこそ開発された商品であることに間違いはない。

そんな”ラーメン”という料理を安藤は、ドンブリに入れて「お湯を掛ければ出来上がる」料理として開発した。しかもチキンラーメンは麺にお湯をかけるだけでスープまで一緒に出来上がるのだ。現在「袋めん」といわれるものでも麺とスープの素は別々になっており、粉末や液体をお湯で溶いたスープの中に茹でた麺を入れている。それほどまでに”手軽に”出来上がることを目指していたのだろう。今では「お湯を掛ければ出来上がる」ものは身の回りにたくさんある。インスタント味噌汁、粉末スポーツ飲料、粉末コーンスープ、お湯をかけるだけで食べられる非常食や登山用食料、水をかけるとタオルになる固形タオルなどなど。しかし最初に「お湯を掛ければ出来上がる」という発想をしたのは誰なのだろう?

ドラえもんの秘密兵器にも「お湯を掛ければ…」というものはいくつも出てくる。しかし即席ラーメンが発明されてなかったら「お湯を掛ければ出来上がり」という発想は生まれなかったのではないかとも思う。”簡単”を絵に描いたような素晴らしい発想だ。だから日本人の頭にはかなり前から「お湯をかければ」=「簡単」という図式が出来上がっていた。

安藤はこのチキンラーメンをアメリカでも売り出そうとしたらしい。アメリカまで行って取り扱ってくれる会社を探しているときに「そんなものがあるわけがない」と先方の担当者に鼻で笑われたらしい。そこで持って行ったチキンラーメンを取り出して「丼とお湯を貸して欲しい」と言ったところ「ドンブリ?ソレハナンデスカ?」と言われた。日本ではどこの家庭でも当たり前の丼だがアメリカ人の家にはドンブリがないのだ。だからチキンラーメンは当初まったく売れなかった。しかししばらくするとチキンラーメンを半分に割ってマグカップに入れてからお湯をかけて食べるアメリカ人が出てきたという。これをヒントに開発したのが有名な「カップヌードル」だ。

安藤はチキンラーメンをカップに入れて「カップヌードル」をアメリカで売り始めた。しかも箸ではなくプラスチックのフォークを付けて売った。カップヌードルはアメリカで爆発的に売れた。だが逆に家に丼ぶりのある日本では発売当初はあまり売れなかったのだという。そんな折に連合赤軍の「あさま山荘事件」が起きた。事件は連日ニュースで報道され続けた。厳寒の信州・浅間山の現場で警察官たちが配られた湯気の出ているカップヌードルを食べている姿がお茶の間のテレビに映された。当時、驚異的な視聴率だったテレビニュースで全国に放映されてカップヌードルは日本でも一気に有名になった。それ以来、学校帰りの買い食いおやつとしても幅広く認知されて広まっていったのである。

日本で働くフィリピン人が母国に帰るときには必ずシーフードヌードルを段ボール箱ごと買って大量に持ち帰っていく。もしカップヌードルがなかったら、世界中の今のカップ麺文化はなかったのではないだろうかと思っているのである。

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