従業員は誰のもの?

あなたが勤めている会社はあなたに優しい会社だろうか。一概に優しいと言ってもいろいろな見方があるが、休暇制度や施設などの福利厚生が充実していたり、転勤がなかったり、残業が少なかったり、いきなりの無茶な業務命令がなかったり、ちゃんと給料を払ってくれるなら、まぁ優しい会社なんだろうと思う。しかし片道3時間の通勤を強いたり夜の9時になってから無茶な仕事を突っ込んできて「明日の朝まででいいからさ」などと平気で言い残して帰っていく上司のいる会社はあまり優しい会社とは言えないような気もする。もっとも昭和の時代はそんな会社が普通にあった。

「企業は人なり」というが今でも経営者や上司のほとんどは従業員を自分の奴隷だと思っている。「働き方改革」とやらでお上が煩いから大っぴらには言えないだけで、従業員のことなどこれっぽっちも考えていない。「クビにする」「給料を下げる」と言えば何でも言うことを聞くからだ。いやそれも”パワハラ”で刺されかねない時代になったのだから労働環境も少しは改善したと言ってもいいのだろうか。だからといって経営者の社員に対する考え方が画期的に変わったのかといえばそんなことはない。

「社長になったつもりで考えろ」などと言う経営者が未だにいるが、従業員が社長になったつもりで考えられるわけがない。何か事があればすぐに左遷や転勤をさせられたり嫌がらせを受けるのだ。社長ならそんなことはされないのだから社長のつもりになどなれないし、そもそも”自分の”会社だなんて思えるわけがない。どんなに頑張って業績を上げたところでいいことはほとんどないのだ。つまり所詮は他人の会社なのである。会社がどんなに儲かろうが従業員の給料にそのまま反映されるわけではない。会社がどんなに大きくなろうと従業員個人には関係ない。

会社の経営が怪しくなれば「リストラ」という名目で実質的に解雇されることもある。「会社を存続させるために泣いてくれ」と言われても泣くのは自分だけで、会社が残っても自分の生活が崩壊して終わるだけだ。「会社のために」と言われて泣く泣く選択したことは”会社のため”にはなるが”自分のため”には全くならない。最近なにかと話題のカルロス・ゴーン元会長が立て直したという日産自動車でも会社を立て直すために何千人という従業員が”犠牲”になった。会社だけは残ったが首を切られた従業員はただ放り出されただけだ。

何かのために尽くすということは何らかの見返りがあることを期待しての行動だ。会社が残って業績が上がれば社長や経営者は得をする。だから”自分の会社”だと思って頑張れるのだ、実際に自分の会社なのだから。しかし一介の従業員にとって会社はあくまでも社長や経営者のものであって自分のものではない。多くの経営者が自分のことだけしか考えていないことを従業員は身をもってわかっている。

社員には何をしてもいいと思っている。自分は儲かっても社員の給料を上げることはしない。総理大臣は政府の統計をごまかしてまで「俺のおかげで日本中の給料を上げてやったぜ!感謝しろ!」と口にこそ出さないが思っている。こんなことで日本が成長できるわけがない。奴隷たちの心の奥底には不満がどっさり溜まっている。いつ一揆が起きても不思議ではない。日本人は控えめだというがほんの200年ほど前には国が傾くほどの反乱が全国各地で起こったということを日本の政府も企業経営者も忘れている。

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