赤電話

昭和の頃の公衆電話を覚えているだろうか。昔の赤電話は10円玉だった。喫茶店などに置かれたピンク電話は店の中に置かれていて”公衆”ではなかったので電話料金を徴収できる個人契約の電話だった。だからたまにピンクの電話にはどこからか電話がかかってくることもあった。しかし赤電話のベルが鳴っているところに出くわしたこともあった。小学生の頃だったか下校途中に酒屋の前を歩いていたら店先に置いてあった赤電話が突然鳴り始めた。とっさに受話器を取ったのだが無言電話だった。どうやったら赤電話に掛けられるのかはいろいろとうわさが流布されたが、それで実際に掛けられたという人をボクは知らない。

ボク自身は経験がないのだが、大学の寮の赤電話には夜になるといつも行列ができていたのだという。インターネットはおろか携帯電話やポケベルすらない時代、通信手段は手紙か電話に限られていた。当時の郵便は翌日配達なんてされることはなかったので遠方だと返事が届くまでに最短でも1週間はかかっていた。だからどうしても急ぎの用があるときには高額になっても電話を使わざるを得なかった。それにしても電話代は高かった。「かけホーダイ」などというものがあるはずもなく東京から九州、北海道にかけると昼間なら3秒で10円、夜でも7秒で10円くらいはかかっていたように思う。

当時も100円玉が使える水色の四角い公衆電話もあったがほとんどは10円玉だけの赤電話で「赤電話」といえば公衆電話を指す代名詞だった。ただ水色電話は100円玉を入れるとほんの10秒くらいしゃべって電話を切っただけでも100円玉が吸い取られてしまうため、ゲル貧(ゲルはドイツ語で”銭”のこと)だった学生には不人気だった。だから長くなりそうな”彼女”への電話を掛けるときには赤電話の上に10円玉を何10枚も積み上げて右手で10円玉を流し込みながら掛けていた。しかしそんなときに限って彼女のお父さんが電話を取ってしまい、彼女に代わってもらえる頃にはほとんど10円玉の在庫が尽きてしまうこともあった。

そんな中で奇妙な経験をしたこともある。3枚ほどは先に入れておける10円玉が、最後の1枚になった時には「プー」という音がするのだがこの音が鳴って追加の10円玉を入れても受け付けられずにすぐに電話が切れてしまうことがあった。それは何度繰り返しても同じように切れてしまう。しばらく原因が分からずにみんなで悩んだのだが、誰かが電話機を揺すった途端に「ザザーッ」という何かが崩れる音がした。もしかして10円玉が目詰まりしていたのでは、と思ってもう一度掛けなおしたところ何事もなかったようにいつもの赤電話に戻っていた。

ある時はその目詰まりがいい方に傾くことがある。10円だけでいつまで経っても切れなくなるのだ。いつもなら1,000円近くかかっていた電話代が10円で済むのだからこんなにラッキーなことはない。ところがそんなときに限って彼女はお風呂に入っていたりするのだ。彼女のお父さんに「あんたは誰だ?」と言われ電話を切られた。人生とはいつも悪い方にしか流れない、とはこの時に得た教訓である。

やがて公衆電話は黄色になりグレーになり緑になった。パソコン通信が流行っていたころには「グレ電」が多く、ノートパソコンのケーブルを公衆電話に繋いで通信したりしていた。アナログの電話に比べるとISDNのデジタル回線は物凄いスピードで通信も当時としては楽々だった。また緑電話ではテレホンカードが使えるようになって10円玉ともオサラバすることができたが、幸か不幸かその頃には電話をかける相手すらいなくなっていた。テレホンカードはコレクションするのが流行っていたがボクは会社で支給されたカードを使うだけだったので意識して集めたことはなかった。

ほんの数十年の間に公衆電話も随分と変わってきた。ケータイが普及してからは公衆電話に並ぶこともなくなった。いまでは街中で公衆電話を見かけることすらめっきり少なくなってしまったが、特に寂しいとは思わない。

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