細かいこと

薬瓶のラベルは上に向けて薬品を注げと子供の頃に学校で習ったことを覚えているだろうか。注いだ時に中に薬剤が瓶の口から漏れてラベルを腐食してしまうとラベルがボロボロになって読めなくなり、中の薬剤が何だかわからなくなってしまうことを防ぐためである。ラベルを上にして注げば万一漏れて瓶の底側に付いてしまったとしてもラベルを汚す前に瓶を拭くことができる。だからボクは今でも洗剤などを別の容器に移し替える時には必ずラベルを上に向けて作業している。細かいことだがそういったことに配慮することが全体として効率を高めてそれに関わる全ての人の心の平安を保てる。

棚の中に並んだビンも、ラベルを手前に向けて置くように習慣づけておけば、いちいち瓶をぐるぐる回すことなくひと目で棚の中に何があるのかがわかる。これは理科の実験室だけの話ではなく調味料棚や冷蔵庫の中でも同じことだ。以前にここにも書いたがこういう細かいことばかり言っていると「面倒くさいヤツ」と言われることが多い。別にいいのだ、面倒くさいやつで結構である。ボクは面倒くさいヤツなのだ。それで自分のやるべきつまらない仕事が効率化できてやりたいことに使える時間が増えるのなら他人になんと言われようと気にならない。誰に迷惑をかけているわけではない。

企業では一時、業務効率化の暴風が吹き荒れた。バブルが崩壊した時、ITバブルの時、リーマンショックの時、文房具などの必要経費すら出さないというバカげた経費削減まで含めて「業務効率化」の大号令がかかった。社内ではどこの部署でも業務効率化が流行った。”業務効率化”とはその名の通り「業務」を「効率化」することである。効率化するのだから業務の”無駄をなくす”ことが目的なのだがその裏では「業務削減」も行われた。業務効率化の名のもとに必要な業務まで削減されてしまった。ところがなぜかムダな業務は削減されずに残った。

本来は削減すべきではない業務が削減されてしまいムダな業務は残った。そのことで商品やサービスのクオリティが劣化してしまったのに経営層はそのことに気づいていない。人は”現状を変えること”が大嫌いだ。現状の業務を”変える”ことは嫌いだが”やめてしまう”のは大好きなのだ。なぜなら”面倒くさい”業務が減るのだから。だから効率化はなかなかできないが削減だけはすぐにできる。

そんな人に「面倒くさいなら」と別のやり方を教えても「わざわざそれをやるのもめんどくさい」と言う。面倒くさがりはどこまでも面倒くさがりだ。何もしないで何も生産しないでボーっとしていることが一番ラクで大好きなのだ。しかしロボットやコンピュータは面倒くさい仕事を素早くこなすのがもっとも得意だ。面倒くさいことを淡々とこなし文句も言わず疲れもしない。そんな機械に面倒くさがりが敵うはずがない。面倒くさいとなどと言っているとあなたの仕事はすべてロボットやAIに奪われ、やがて何も仕事がなくなってしまうのだ。今は誰もがそのことを恐れていたのではないのか。それでもなお面倒くさいことをやろうとはしない。

面倒くさいことを解決しようと一所懸命に考えることはAIがまだ苦手としている分野だ。しばらくすればそれすらもなくなってしまうと思うが今のところはまだ残っている。「AIに仕事を奪われる」などと悶々とするなら今、目の前にある仕事を面倒がらずに着々とこなすことだ。いつだってそこから何かが見えてくるのだから。

ほんのちょっとのひと手間を惜しまないことで効率よくできる環境を保つことができる。細かいことにも常に気を配り、ちょっとした手間を惜しまず、些細なことに気を配ることがやがては大きな効率化となって戻ってくる。ちいさなひと手間を惜しむような人には効率化などできるはずがない。

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