平成最後の

 今年は4/30に今上天皇が退位されて5/1からは皇太子殿下が天皇に即位されることになっている。天皇の即位とともに新しい元号に変わる、いわゆる改元が行われることが法律で定められているため2019年5月1日から新しい元号に切り替わることになる。昭和から平成になったときにも新しい元号に変わってからしばらくの間は何となく違和感を感じたものだが、しばらくしたら慣れてしまって何とも思わなくなった。今回は天皇陛下も変わらずご存命なのだからお祝い気分になるのもわからないではない。

このところ何にでも枕詞のように「平成最後の」を付けるのが流行っている。平成最後の紅白歌合戦、平成最後の夏の甲子園、平成最後の忘年会…、まさに「平成最後の大安売り」だ。それこそ安っぽくなってしまって「平成」に申し訳ないような気もするのはボクだけだろうか。

しかし平成が終わろうが何をしようが相変わらず続いていくものに「平成最後の」を付けることに何の意味があるのだろう?紅白歌合戦も夏の甲子園も忘年会も、たぶん今年も去年と何も変わらずに行われるに違いない。「平成最後だったから凄かったねぇ」などと言われるものはほとんどないのだ。それでも「平成最後の紅白だから見ておかなきゃ」と思うのだろうか。それにしても「最後の」という言葉は「もう手に入らない」という言葉と同じように人々の心に郷愁を覚えさせる。

バーゲンセールで「最後の3つ!」などと言われると別に欲しくもなかったものが急に貴重なもののように感じられて我先にと手を出してしまう。「限定品」の魔術だ。昔は(今もそうかもしれないが)限定10個のはずなのに店頭から売り切れそうになると1つまた1つと倉庫から新しい商品が少しずつ補充されてくる光景をあちこちで見かけたものである。今でもテレビショッピングなどでは「先着20名様に限り」などという宣伝文句がしょっちゅう使われる。本当に先着の20名を数えているのかといえばまったくそんなことはしていない。景品がある限りいくらでも売り続けるのである。ただし掛かってきた電話に「ラッキーです!あと2人で終わるところでした」という殺し文句を加えることを忘れずに。

「平成最後の」は”もう2度と手に入らない”感があるが(何になるかわからない)次の元号の「〇〇最初の」はどういう効果があるのだろうか。思うにそれは限定品に弱いという心理ではなく”他人より優位に立ちたい”という”何でも一番が大好き”という人にウケるような気がしている。人気のゲームでもスマホでも発売前から店の前に行列する人の姿がニュースなどで放映される。いくら人気商品でもしばらくしたら誰もが苦労することなく簡単に手に入れられるものなのに一瞬でも他人より早く手にしたいという人は間違いなく一定数は存在する。

初売り、初競り、初詣、次の日もその次の日にも変わりなくそこにあるものでも、他人に先んじて手に入れたりお詣りすることにはある種の優越感を感じるらしい。そこには”自分が”他人よりも優れているわけではないが、他人が”自分のやっていること”を羨ましく感じるだろうという憶測があり、そのことが”自分は優れている”と自分に感じさせる効果があるのだろう。

いずれにしてもボクは、欲しくないものは要らないし、混んでいるところは嫌いだし、意味もなく高価なものを手に入れたいとも思わないので、そういったところにはあまり興味がないのである。おそまつ。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください