「手作り」の神通力

道の駅や農産物直売所、デパ地下の食料品コーナーでは「手作り」と銘打った品物がたくさん並んでいる。手作りジャム、手作りクッキー、手作り豆腐、手作り醤油、手作り味噌、手延素麺、手作り梅干し、手作りキムチ、手作りチーズ、手作りヨーグルト、手作り惣菜…、いくらでもある。おそらく「手作り」をセールスポイントにしたいのだろうがほとんどのものに「手作り」と書かれているのでまったく差別化になっていないしセールスポイントにもなっていない。もっとも買い求める消費者にしたところでそれが手作りかどうかなんてまったく気にしていない。逆にすべてを機械だけで作っているものなどそんなにないはずだ。作る過程のどこかで人の手による工程が入っていることが多く、逆の意味でそれも手作りと呼ぶべきではないのかと思ったりもする。でも今まで「手作りスマホ」などという広告は見たことがない。

「手作り」というのはどこからどこまでを人間の手でやることなのだろう。いやロボットアームでやっても「手作り」というのだろうか。現代では何を作るにも道具を使わないですべてが完結することは少ない。道具を使っても道具を手で操作すれば手作りというんだろうか。いや道具を使わない作業で何ができるというのか。線を引く時にものさしやコンパスを使えばそれは道具だ。直線を引く時にフリーハンドで描く職人は少ないだろう。するとその職人が作ったものは手作りとは呼べないのだろうか。

いや道具ではなくて機械を使ったら手作りではなくなるのかもしれない。道具と機械はどこが違うんだろう。道具は金槌やノコギリのように人力以外の動力を使わないものをいうのだろうか。すると普通のノコギリは道具で電動ノコギリは機械になるのだろうか。キリは道具で電動ドリルは機械になるのだろうか。どこまでが道具でどこからが機械になるんだろう。道具ならいいけど機械を使ったら手作りと言ってはいけないのだろうか。

「手作り」を売りにした商品はまだ他にもいっぱいある。手編みのセーター、手漉き和紙、手作り玩具、手作り家具などなど。家具などを自分で作ることを昔は「日曜大工」と呼んでいた。今では「DIY(Do It Yourself)」といったほうがしっくり来るかもしれない。しかし最近の都会では「自分で作る手作り」よりも「買ってくる手作り」のほうが圧倒的に多くなってしまった。夏休み前になるとデパートなどには「小学生のための手作り工作キット」なるものが店頭にあふれる。部品はすべて前もって加工してあり、自分でやるのはそれを組み立てることだけだ。プラモデルと何ら変わらない。それでも部品が木で作られていれば「手作り」っぽいのだ。そう、「っぽい」ことが大切なのである。それっぽければ何をしようが「手作り」になり「自家製」になる。 

あまりしつこくするとまた”面倒くさい男”と罵倒されそうなのでこの辺にしておこう。
ノスタルジーがセールスポイントになるものは「手作り」を強調し、テクノロジーを訴えたいものには「自動化」をアピールする。「自家製の漬物」といえば田舎のおばあちゃんが家の納屋で木の樽に漬けた美味しい漬物を連想させる。実際には工場でステンレスの容器に野菜と漬物液を入れて漬けているものだとしても「うちの工場」で作っているのだから「自家製」はウソではない。まったく変な世の中である。

神奈川には「さいか屋」というデパートがある。地下の食品売り場の片隅に「さいか屋まんじゅう」のお店があった。「さいか屋まんじゅう」は全自動の機械で作られていた。当時の日本はまだ高度成長期で、何でも全自動にすることがテクノロジーの証だった。だから流行の最先端をいくためにどこかの機械メーカーが苦心して「全自動まんじゅう焼き機」を開発したのだろう。当時は「最先端」であることが差別化のすべてだった。「手作り」はどこにでもありふれた「古くてダサい」やり方だった。

その機械は、溶いた小麦粉を主原料とした饅頭生地とつぶあんを機械にセットすると後はボタンを押すだけで機械が完全自動でガチャンガチャンとまんじゅうを焼いてくれるという代物だ。ボクはガラス越しにそれを見ているのが好きだった。母親が買い物をしている間はずっとまんじゅう製造マシンを眺めて過ごしていた。何時間眺めていても飽きることはなかった。

不思議なことにほとんど同じ機械が平塚駅前のまんじゅう屋で今も活躍している。それは50年前から変わらない光景でボクは子供の頃、ここでもまんじゅうが出来てくるのを飽きずに眺めていた。機械は若干の改良がされているもののほとんど変わらない姿で、今ではアナログな手作りの雰囲気を醸し出しているノスタルジックな代物になっている。ひと頃は全自動などは”ありふれたもの”になり廃れかけたが、今では全自動まんじゅう焼き機は「手作り」感を醸し出して大人気だ。他の街からもわざわざ買いに来る人までいるほどだ。世の中はいつも変化している。

結局、「手作り」かどうかには境界線などない。誰かが「これは手作りです」と一言いえばそれは間違いなく手作りなのだ。

今年も1年間お付き合いくださりありがとうございました。来年も精一杯がんばりますのでよろしくお願いいたします。どうぞ良いお年をお迎えください。

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