ファンシーグッズが街にあふれていた頃

横須賀は幕末にペリーが黒船でやって来た港であり、旧日本海軍の基地として栄えた街である。戦後は基地を米軍に接収され、市内の平らな土地のほとんどが米軍基地であり日本人は山の急な傾斜地に張り付くように家を立てて住んでいる。国鉄(現在のJR)横須賀線は軍港に砲弾や船の燃料、資材などを運ぶために国が整備した鉄道であり国鉄の横須賀駅は軍のために作られた駅である。ちょっと前まで駅の周辺にはほとんど店もなく臨海公園という公園と閑散としたバスのターミナルがあるばかりの廃れたところだった。横須賀市民にとっての市街地といえば私鉄の京急(京浜急行)横須賀中央駅であり、市民は大人も子供も「中央(ちゅーおー)」と呼び、買い物に行くにも、外食するにも、映画を観るのも”中央”に行くのが常だった。

ボクは子供の頃から文房具屋が好きだった。小学生の子供にとって文房具屋はいつも何か新しいワクワクを掻き立ててくれる場所だった。当時、紙飛行機にハマっていたボクは材料になるケント紙(画用紙のような紙)やセメダインCを買うために月に一度は「中央」まで出掛けていた。中央には「かわしま」という元は古い紙屋さんだったお店があり、ちょうどその頃、横須賀には不釣り合いなほど大きな文房具店になってリニューアルオープンしていた。当時、地元の学校の前にも小さな文房具屋があって、鉛筆や消しゴム、学帽、ボンナイフ(剃刀の刃にカバーのような取っ手をつけたもので鉛筆を削るのに使っていた)などは一通り揃っていたが、半分は駄菓子屋のようなもので模造紙や作文用紙(原稿用紙)、画用紙は置いてあってもケント紙などはなかった

当時は「ファンシーブーム」が始まりかけていた頃で、文房具屋にもスヌーピーなどのファンシーグッズが置かれ始めていた。中央の「かわしま」もやがて2階はファンシーコーナーとなって女の子たちが集まる華やかな場所になってしまった。ところがボクがいつも買っていたケント紙は売れ筋商品ではなかったので、これまた2階の片隅にひっそりと置かれていた。店の中の階段を登って2階に行くのはほとんどが女子であり、男子がその階段を登るのはかなり恥ずかしかったし、学校で好きだった女の子に偶然出くわしてしまったりしたときにはバツの悪い思いをしたものだった

その頃、渋谷に東急ハンズができたと聞いて小学生ながら横須賀の田舎からはるばる電車に乗って出掛けたことがある。当時の小学生にとっては電車に乗ることは特別なことで、旅行や家族の買物でもない限り電車になど乗る機会はなかったのだが、ボクの家は当時の新興住宅地の中にあって近くに学校がなかったため小学1年生から電車通学を余儀なくされていたのだった。そのため電車に乗ることに対するハードルはなく、横浜で東横線に乗り換えて渋谷や秋葉原に行くことにも抵抗感は感じずにすんだ

渋谷駅から公園通りを通って(センター街には悪そうな人がいっぱいいたので避けた)東急ハンズまで歩いた。お店に入ると全館が宝島のように思えたことを今でも忘れない。ボクは一日中お店の中を歩き回っても飽きることはなかった。あらゆる工作道具や材料が揃っていて何でも作れそうな気がした。もちろん渋谷までの交通費にお小遣いの大半を注ぎ込んでいるので何が買えるわけでもないのだが、そこにある商品を見ては「これなら自分で作れる」などと一緒に行った友達と語り合ったりしていた

先日、ラジオを聞いていたら「文具女子博」という催し物をやっているという話をしていた。なぜ”女子”なのかはわからないが、名前に”女子”をつけると女性の来客数が明らかに増えるからだと話していた。女子が来れば男子もくっついてやって来るのは今も昔も変わらない。しかし催しの中身を聴いているとほとんど文具とは関係のないものばかりなのである。かつてのファンシーグッズが文具店にあふれていた時代を彷彿とさせる。また文房具も専用の道具が次々と発売されているらしい。参考書にマーカーを引く専用のものさしなどがあって「なぜ専用でなければいけないのか」と疑問を禁じ得ない。紙を丸く切り抜く”専用の”カッターもあるが、昔は普通のコンパスを改造してカッターの歯を取り付けられるようにして使っていた。このように新製品が続々と出てくるので何をするにも誰も工夫をしようとしなくなってくる

「必要は発明の母」とは誰かが言った言葉だが、新しいアイデアは自分が困った時に一所懸命に考えて工夫をこらす中から生まれてくるものだと思っている。しかし今の時代は「困った」とひとこと言えば自分の代わりに誰かが考えて工夫して作ってくれるようになった。これはあまりにもおせっかい過ぎるのではないかと思っている。どんな用途にも”専用の”既成品があり、工夫するのはそんな商品を探すためのネット検索だけになってしまった

日本に、いや地球に天変地異が起こって今までの文明の成果のほとんどすべてが使えなくなってしまった時には、もはや現代の人間は行きていくことすらできないのではないだろうかと心配になるのは考えすぎだろうか。

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