ゲームの攻略本

ボクが高校生だった頃にファミコンというゲーム機が発売された。うちにはなかったが友人の家にあったファミコンでスーパーマリオやらドンキーコング、麻雀ゲームなどをそれこそヒマがあればしょっちゅうやっていた。コンプリートするまでに長い時間がかかるゲームだと1回のプレー時間では終わらず次回に持ち越すことになる。次回、ゲームの途中から再開するにはゲームを中断する時に画面に表示される13桁くらいの数字を手書きでメモっておいて再開時には再びその数字を入力することで続きをプレーできる仕掛けになっていた。遠い思い出だ。

当時のファミコンでも「何とか名人」と呼ばれるゲームの達人がいて雑誌に記事を書いたり本を出したりしていた(らしい)。いわゆるゲームの攻略本である。それぞれのゲームの場面のどこに隠れキャラがいるのかが載っていたりしたらしい。ゲームを持っていた友人の弟がどこかで見てきたらしく時々教えてもらうこともあった。だからといって別にゲームを最後まで早くコンプリート(完了)させることには誰も興味を持っていなかった。そのゲームがコンプリートしてしまえば興味がなくなってしまい、再びプレーする気にならなくなってしまうことが目に見えていたからだ。だからといって新しいゲームを買うほどにはゲーム自体に興味があったわけではなく、ヒマつぶしがなくなってしまうのも寂しかったのだ。

しかし当時から攻略本はそれなりに売れていたらしい。ボクには攻略本を買ってきてまでゲームを終わらせたい人の気持ちがわからなかった。す早く効率的にゲームを終わらせることに意義を見いだせなかった。お金を稼いだり試験勉強をするなら効率的に楽な方法で終わらせたいという気持ちになるのはわかる。しかしゲームは遊びだ。楽しむものだ。楽しい時間を早く終わらせることの意味がわからなかった。

多くの人にとってスマホやゲーム機でプレイする目的は何なのだろう。ボクが思うに、それはゲームの中でプレイすること自体を楽しむことなのではないかと思っていたが違ったのだろうか。中には何とかというゲームの進捗度を誇ったり早く終わらせたことを自慢する人がいたことも事実だ。その人たちは恐らく、ゲームを楽しむことではなく他人より早く終わらせた自分の優秀さ(?)を誇りたかっただけなのかもしれない。それにしてもアカの他人が書いた攻略本の力を借りてゲームを早く終わらせてそれを誇ることに情けなさは感じなかったのだろうか。自分が優秀だと思い込んでいることの大部分は他人の力によるもので、自分自身は何ら優秀ではないということには気づいていなかったのだろうか。

学校の試験でテスト用紙を配られ、さらに模範解答を書いた紙も配られて「模範解答をテスト用紙に書き写せ」と言われるようなものではないのか。正解を書き写して「はい100点満点です」と言われて嬉しいものなのだろうか。他人よりも優れていることを誇るのは動物全般が持っている本能である。それは自分の実力が優れているからこそ自慢できるということではないのだろうか。

と思っていたところに面白い話を聞いた。ある種の鳥は体格や運動能力が劣っていても求愛するメスの前では他のオスの求愛行動を横取りして自分が優れているように見せかけてまんまとメスをパートナーにしてしまうのだそうだ。メスはいまさら他のオスと比べてみることもできず、劣ったオスに騙されていたことにも気づかずに丸め込まれてしまう。これもきっと正面突破では人生を切り開くことができず子孫を残すことができないと悟った劣勢オスの生き残り戦略なのだろう。

そう考えると、彼らにとってゲームは人生をかけた生き残りゲームだったに違いない。最近ではeスポーツという競技(?)も注目されているという。時代を先読みしすぎただけで、彼らの予想もまんざら間違っていなかったのかもしれない。そう考えるといろいろな代行サービスが流行っている昨今、ゲームのコンプリート代行サービスなどというものも出てくるのではないだろうかとくだらないことを考えている。まぁゲームごときの話だからどうでもいいんだけど。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください