飲みニュケーション

かつては仕事帰りに同僚たちと近所の居酒屋で一杯、なんてことが普通だった。そのうちにセクハラだ、パワハラだと世間がうるさくなる中で何だか面倒くさくなって職場の人と飲みに行くこと自体をしなくなった。年末などには部署が主催する(飲み代は会費制)忘年会などがあって最初の頃は参加していたが、あまりにも退屈だったのでそのうちにいろいろと理由をつけては欠席するようになった。仕事が終わってまで仕事の話をするのはゴメンである。しかも前向きな話ならまだしもほとんどは職場の愚痴だ。そんな話を聞きながら呑んだところで楽しいはずもなく人の嫌なところばかりが目につく。それ以来、酒を呑むのは気のおけない友達に限っている。

最近は職場で「飲みニュケーション」を推進している会社があるという。経費は会社持ちだが「月に3回は上司や部下と飲みニュケーションをすること」などという決まりを作っているらしい。社内のコミニュケーションが不足していて業務の効率が下がっていたりせっかく採用した新入社員の半分が1年経たないうちに辞めてしまったりするからだそうだ。その会社では50%以上だった新入社員の退職率が10%以下になったのだという。しかしボクには業務命令で飲みに行くことを決められるのには違和感を禁じ得ない。コミニュケーションをとるのになぜ業務が終わってから、酒を飲みながら話さなければならない理由があるのだろうと思う。会社が飲み代を出してくれるという会社なら、この間まで学生だった若い新入社員にとっては嬉しいと思うかもしれない。しかしそのうちにそれに払う代償の大きさとくだらなさに嫌気が差してしまうのではないかと思う。飲みに行くのは同僚であっても気のおけない仲のいい友達だからだ。

「コミニュケーションをとるために呑みに行け」という業務命令なら呑みながら話すのは会社や仕事のことなのだろう。相手のことなどよく知りもしない上司にいきなり込み入った悩みなど相談できるわけがない。ましてや悩みが必ず会社や仕事に関係したことだとも限らない。親子関係や友人関係のこともあるだろう。そんな話を上司になどボクなら話したくない。価値観もわからない相手とそんなにすぐに打ち解けることはできない。学生ではないのだ。

そもそも人と人とのコミニュケーションは命令されて始まるものではない。「誰それと友だちになれ」と言われて「はいわかりました」と簡単にはいかない。友だちになったふりならできるかもしれない。お金をもらってやる業務ならだ。仮に経費や残業代が出て仕事の延長であったとしても価値観がまったく異なる上司や部下、同僚と無理に会話をしなければならないのは苦痛以外の何物でもない。酒が入ったからといってリラックスできるわけでもない。そもそもそんなところで酒を飲んで酔っ払う気分にすらなれない。そんなところで本音を語れるかと言われればそれはできない。最初の挨拶で「さぁみんなで本音を言おう!」とでも言うのだろうか。それでは昭和の時代の飲み会で「さぁ今夜は無礼講だ!」と言われて罠にはまる平社員と変わらない。そんな場でペラペラと本音を語りだしたらよほどお目出度い人である。そんな場でペラペラと話せるような薄っぺらな話が本音だとしたら、そんな人とコミニュケーションする気にならない。

それでも百歩譲って、新しい出会いや知らなかった人と知り合うきっかけとするだけならそれはそれで意味はあると思う。話す機会もなかった人と何かをきっかけに話してみたら存外ウマがあったということもある。

ボクはお酒を飲むのは好きだがそんな場を会社に無理矢理作られても困るばかりである。できることなら行きたくない。そんな飲み会を強要する会社とは価値観を共有できないのでこちらから願い下げだ。それで社内のコミニュケーションが円滑になったと思うのなら経営者もよほどの鈍感者だ。誰とでも本音で話せるわけではない。プライベートだって本音を言い合える親友などほんとうに限られたごく僅かな人だけだ。

最近はコミニュケーション障害の人が増えているというが誰だって気の合わない人につきあわされるのは御免こうむりたいのだ。

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