有効求人倍率のウソ

安倍ちゃんは事あるごとに「私のおかげで景気は上向いた。その証拠に2018年10月の有効求人倍率が1.62倍…」などと言っているがあんなのは安っぽいゴマカシである。仮に職を探している人に求人があったとしよう。自分が高卒以上、年齢18~59才などの求人の条件にあっていたとしても、だからといって採用されるわけではない。当然のことだが企業だって人を選ぶのだ。どうせ雇うならツカエナイ上に高い給料を欲しがる年寄りより体力のある若い人のほうがいいに決まっている。事実、ハローワークに行くと30代の女性は次々と職が決まっていく一方で高齢者の再就職となると1年近く探し続けてもまったく採用されないという現実がある。

50歳の人が応募してきても、採る側が最初から30歳位の人が良いと思っていたら採用なんてしないのだ。それでも求人倍率の対象者には「高卒以上で18~59才」の日本国民すべての就職希望者人の人数がカウントされる。数字のマヤカシだ。しかし現実には「25~35才の大卒男子」だったり「27~32才の高校・短大卒女子」だったりするわけである。そんな有効求人倍率の数字だけで「景気が上向いた」などと偉そうに言っている総理大臣なんてまったく信用できない。自分の手柄だけを誇張する人に誠実な人のいたためしはない。

安倍ちゃんに限らず、米国のトランプ大統領も中国の習近平国家主席もロシアのプーチン大統領も、世界中の権力者は自分の実績を誇張して宣伝する。ウソをついてでもできていないことを「できた」と言い、失敗したことも大成功だと言いふらす。日本にもかつて鳩山邦夫という総理大臣がいた。最後は沖縄の基地問題で「私には腹案がある」などと言って総理の座にすがりつこうとしたが、予想通り空っぽな頭の中には何もなく国民はおろか同じ党の国会議員にまでバカにされて見放された。

自分を実体以上に大きく見せて威張りたいという気持ちは多かれ少なかれ誰でも持っている感情だ。特に男には捨てがたい性質でもある。多くの動物も、鹿のオスが大きな角を持つように自分を大きく強く見せて優位に立ちたいと思うのは生き物の根源的な習性のひとつなのだ。人間だからといってそれから逃れられるものではない。

金持ちになれば豪邸に住みたくなり、大きく高価な車が欲しくなり、皆が羨むような別荘が欲しくなり、必要もないのに自家用ジェットに乗りたがり、普通の人が入れないという高級料亭で食事をしたがる。すべて自分のことを自慢したいからに他ならない。自分は手にしたものの価値などわかっていなくても他の人から「凄いなぁ」「いいなぁ」「羨ましいなぁ」と言われればそれだけで満足なのだ。

しかしそれを「くだらない!」と一笑に付すのは簡単ではない。対象はゼイタクだけに限らない。例えば学歴だってそうだ。いくつになっても自分の出た大学の自慢をする男は多い。40にも50にもなって数十年前の母校の話をしてどうなるものでもない。かつては難しい入学試験に合格したかもしれないがその後の人生で何をやり遂げてきたのかはまったくわからない。有名大学を卒業したことと今、自分が有能な人間であることの間には何の因果関係もないのだ。

昔、何ができたのかよりも、今、何ができるのかのほうが圧倒的に説得力はある。それでもいくつになっても履歴書には学歴を書かせるのだ。実にくだらない。くだらないがいくつになってもはるか過去の子供の頃の栄光にすがって生きている人のなんと多いことか。いや、それ以外にすがるものもないのだろう。

ボク自身も若い頃からいろいろな資格を取ってきた。しかし転職を繰り返し最後に自立するにあたって役に立った資格などほとんどなにもない。自分に残ったのは経験や体験とその知識だけだ。自分以外の何かに頼って生きていれば、それがなくなったり威力を発揮できなくなってしまった時には何も残らない。しかし自分自身に蓄積したスキルや経験は、環境にどんな変化が起ころうともなくなってしまうことはない。自転車に乗れる人はその技術を誰かに盗まれたとしても自分が自転車に乗れなくなるわけではない。

スキルや知識は常に磨いておかなければ錆びついて使い物にならなくなる。蓄積したスキルや経験が多いほど磨くべき自分の武器は増える。だからやるべきことは死ぬまで増え続ける。いくつになってもやることがなくて退屈で気が狂いそうになることなんてなさそうな気がしている。

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