ボーッとすること

普段はほとんどシャワーだけの生活だが冬になって寒くなると湯船が恋しくなる。日本人と古代ローマ人だけなのかもしれないが湯船に浸かってボーっとしていると頭も緩んでくるのか色々な考えが次々と浮かんでは消えてゆく。シャワーだけだとこうは行かない。さっさと頭や体を洗っておしまいということになってのんびりとする気分にもならない。

家の風呂もいいが大きな湯船はそれだけで気分がいい。湯の量が多いと一人くらいが冷たい体で浸かったところで湯が冷めないところが良い。温泉宿に行くときはまだ明るいうちの夕方早い時間に到着して部屋に荷物を置くなり早速大浴場に向かう。観光地の近くだとまだ宿にやってくるお客も少なく大浴場も空いている。まだ明るい空を眺めながら一人で大きな湯船に足を伸ばして入る気分は格別だ。最近ではビジネスホテルにも大浴場を備えているところが増えてきたので予約する時にはできる限りそんなホテルを探すことにしている。

何かを考える時、脇目もふらずに一心不乱に問題について考えを巡らすことはよくあることだし多くの人はそうしている。眉間に皺を寄せて一点を睨み続け、時には頭を掻きむしりながら悶々とする。もちろんそんな中からアイデアが湧いてくることもある。しかし人の集中力はそうそう続かない。ましてや全力で頭を使っていれば1時間かそこらが限界だ。だから時々考えるのをやめて気分転換をする。昔、煙草を吸っていた頃には文字通り一服したりした。コーヒーを飲むこともあった。煙草から立ち上る紫煙やコーヒーの湯気は見ているだけで心を癒やしてくれた。今では煙草はやめてしまいコーヒーもほとんど飲まないので窓から外の景色を眺めたりしている。しかしボクの部屋の窓からは動くものがほとんど見えない。風に揺れる木の枝や街を歩く人でも見えれば気も紛れるのだが止まったままの風景は何とも殺伐として見える。考えている時には止まったままのものを見ていたので気分を変えるには動くものが見えたほうが良いのかもしれない。

あまりに煮詰まった時には散歩に出かける。公園のベンチに腰を掛け、自分が動くのではなく止まっている自分が動いているものを見ると頭の中がほぐされてくるような気がする。動物は動くものを見ると神経が刺激されて反射的に何かを判断したりするようになっている。今まで一つのことばかり考えていた頭に別の刺激を与えて違うことを考えさせることは脳の神経細胞に違った信号の流れを与えるのかもしれない。それが今まで考え込んできたことと反応して新しいアイデアを生み出す力になっているような気がする。だから散歩していたりお風呂に浸かっている時に何の脈略もなくポンッと思いつくことが多いのだろう。

一つのことに固執しすぎてはいけない。それは行動だけではなく考え方についても同じだと思う。一つのことに凝り固まった頭は他の考えを柔軟に受け入れることができない。「そんなはずはない」「そうに決まっている」とひとたび思ってしまうと他の意見に耳を貸そうと思わなくなる。考えることに煮詰まっている状態も同じだ。一つの考えだけが頭の中をグルグルと同じところを回り続けて外に飛び出すことができない。

気分転換でこだわりを一旦忘れてみる。ゼロベースでもう一度最初から作り直してみる。その時には自分の常識を忘れなければならない。自分ではない誰かがやった時にはぜんぜん違うことから始めるかもしれない。自分ならきっとやらないと思うことをあえてやってみる。先を読まずに不合理だと感じることもやってみる。そこからは結果的に何も出てこないかもしれない。運良くたまたまいい結果が出るかもしれないが理屈がわからないこともあるかもしれない。

それでもいい。失敗は成功のもとだ。

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