ねばならぬ

スカスカのスケジュール帳を見ると罪悪感を感じるという人がいた。実はボクもサラリーマン時代にはそう感じることが多かった。スケジュールが入っていないということは仕事をしていないということであり「穀潰し」だの「給料泥棒」だと思われることを恐れていたのだと思う。もちろんスケジュールが入っていないからといってその時間に遊びに行ったり昼寝をするわけではない。会社というところはその気になって探せば仕事はいくらでも出てくる。指示されたことが早く終わればそれまでやりたくてもできなかった仕事を始めればいい。確かにあの頃は「予定した仕事が早く終わったら早く帰ろう」というような時代ではなかった。

空いている自分の時間をすべて予定で埋めなければいけないという強迫観念。上司にも先輩にも真っ黒になった自分の手帳を見せて「仕事のできる男アピール」をする人が多かった。昭和とはそんな時代だった。平成になってからもしばらくはその風潮は変わらなかった。テレビでは「24時間戦えますか?」という栄養ドリンクのコマーシャルをやっていた。やらねばならぬ、戦わねばならぬ時代だった。

以前に、何かをやろうとしたときには必ず場所にも時間にもワークスペースが必要だということを書いた。しかし会社はワークスペースを必要不可欠な”業務”だとは考えてはくれない。逆に”まだ余裕がある”と見る。キッチンのシンクが満タンになるまで汚れた食器が積み上げられる。山積みになったシンクの中には手を入れる隙間すらない。ここからどうやって洗い物を片付ければいいのか。洗うためのスペースはどこにあるのか。洗った後の食器はどこに置けばいいのか。ワークスペースを確保するためにタライを持ってきて作業を始めると空いたスペースが増えたと勘違いしてその中にさらに汚れた食器を入れる人がいる。

常にある程度の空き時間を確保しておかなければ今やっていることを処理する時間もない。もっとやるべきことや重要だと思うことが急にできても全く余裕がないので手を付けることもできない。スケジュール帳を真っ黒にして喜ぶのはそのテの人だ。自分の手が回らなくなれば隣に丸投げして知らんぷりする。サラリーマンの中間管理職に特に多い。

ビチビチのスケジュールを組むことは何かいいことがあるのか?
何も予定がないと不安になる。何かをしていないとお天道さまに申し訳ないと思う人がいる。何もしていない役立たずだと思われることを恐れている。そしてスケジュールの入っていない空白の時間にもやりたいことが思い浮かばないしやりたいこともない。そんな人は定年になって会社の仕事がなくなると時間を持て余してしまう。まぁいい、それは個人の問題だ。

休みなくスケージュールを詰め込むことは考える時間をなくすことだ。余計なことを考えずにスケジュール帳に書いてあることをベルトコンベア式に黙々とこなしていく。何も考えないことはある意味で楽だ。頭を使う必要がない。考えてみれば我々は子供の頃からベルトコンベア式に人生を送ってきた。生まれてから数年もすると幼稚園や保育園に行く。就学年齢になれば小学校、中学校、高校へとほとんど自動的に進学して卒業すれば就職して会社に通勤するようになる。会社では毎日業務命令が下されて命令どおりに仕事をする。生まれてからずっと考えることなく成長し大人になり定年になる。

幼稚園に行かねばならぬ、小学校に行かねばならぬ、中学校に高校に行かねばならぬ、大学に進学せねばならぬ、大企業に就職せねばならぬ、給料を貰わねばならぬ。ずっと義務感に後ろから押され続けて歳を重ねてきた。いまさら自由な空き時間を作ることはできない相談だ。我々は常に何かをやっていなければならない社会で生きてきたのだから。

定年になって仕事を辞めるととたんに時間を持て余しておかしくなる人もいるらしい。だから世間はすぐに言う。

「趣味を持たねばならぬ」

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