車はきっと止まらない

信号のない横断歩道に立っている。目の前の道は交通量が多くなかなか車の列は途切れない。30秒ほども経ったとき一台の路線バスが止まってくれた。反対車線を走っていた車も停まったバスに気付いて横断歩道の手前で急停止した。会釈して横断歩道を渡り始めると急停車した乗用車の影から原付スクーターが飛び出してきた。対向車線のバスにも急停車した前を走る乗用車にも横断歩道を渡る歩行者にも何も感じなかったらしい。

横断歩道を渡り終えて歩道を歩き始めると歩道を走っていた自転車がこちらに突っ込んできた。スマホを片手にイヤホンを耳に突っ込み下を向いて自転車を走らせている。すんでのところで自転車をかわしたら同じようにその自転車を避けようとした人がぶつかってきた。今どきの日本の歩道は危険に溢れている。

人は誰でも慣性の法則にしたがっている。「慣性の法則」。覚えているだろうか。中学生の頃、理科の時間に習ったニュートンの運動の法則の一つだ。止まっているものは留まり続け動いているものは動き続けようとする物質の性質を表している。余談だがなぜ地球に引力があるのか(万有引力の法則)も慣性の法則もニュートンから300年経った今になってもその訳はわかっていない。子供に「どうして地球には引力があるの?」と訊かれても「そこに地球があるからさ」としか答えようがないのだ。

閑話休題。
車も止まらなければ自転車も止まらないし歩行者も止まらない。
ボクは小型船舶の免許を持っている。10年ほど前に講習を受けて取得したのだが自分で船も持っていない現状ではほとんど使う機会がない。しかし10年前に講習を受けて役立ったと思うことが一つある。それは船を操縦している時には「何か悩んだことがあったら止まれ」と教わったことだ。

船舶には基本的ないくつかのルールがある。狭い水路ですれ違う時には右側通行が基本だ。基本的に小さな船は大きな船を避けなければいけない。大きな船は簡単には進路を変えることができないので小さな船は大型船の進路を妨害してはいけないということだ。これにも慣性の法則が関係している。そして陸上と最も大きく違うのが「海の上には道がない」ということである。もちろん東京湾の浦賀水道や九州との間にある関門海峡、瀬戸内海の来島海峡などの特定の決まった場所には厳格に定められた道がある。しかし基本的に海の上には道路はない。

車で道路を走っていて路側に駐車している車があるとする。止まっている車を避けようとして対向車線に車が来ていないことを確認したら右側から止まっている車を避けるだろう。通り過ぎたところで再び左車線に戻って走ることになる。しかし海には道路がないので障害物を避けても元の”車線”に戻るという概念がない。避けた場所から目標に向かって陸上なら”反対車線”を走り続けることになる。最高速度も決まっていない、というよりそもそも小さな船には速度計が付いていない。どの航路を走るかは船長の権限だけだ。早い話がぶつからなければいいのだ。

しかし船長同士もお互いに人間である。「狭い水路は右側通行が基本」だが「幅何メートル以下が狭い水路」などと決まっているわけではないし決まっていたとしても交通標識でも立てなければわかるものではない。また船の位置関係や速度によっては必ず右側を通過しなければいけないということもない。そんな時には相手の船の出方がわからないことがある。自分の船が先に行くのかこちらに譲ってくれたのかは遠く離れた船の上からでは確認しようがない。

そんなときどうする?という問題が小型船舶の試験でも出題されるし実技の講習でも行われる。もちろん実技の相手の船はどこの誰ともわからない船だ。状況によっては右に避けたほうがいいときもあるし左に変針したほうがいいこともある。だがそんな時に教わるのは「悩んだら止まれ」ということだ。

止まっている船同士は基本的にはぶつからない。一旦止まってから相手の動きを見て行動せよときつく教えられる。相手も困ってお互いが止まってしまったらできるだけ大きな挙動で船をゆっくりと動かしてこちらの意思を伝える。「こちらが避けて譲る」のか「こちらが先に通るから待っていろ」なのか。

もちろんベテランの船長同士なら悩むことも少なく以心伝心で安全に操船できるが初心者にとってはちょっとした判断ミスが大きな事故に繋がることがある。車は急に止まれないが船はもっと止まれない。大型タンカーなどは積荷を満載しているとスクリューを止めて全力でバックしようとしても10キロも先まで行ってしまうのだと以前に友人の一等航海士から聞いたことがある。だから小さな船ならとにかく「悩んだら止まれ」なのだ。

しかし陸上ではほとんどの人も自転車も車も止まることは考えない。時には赤信号ですら止まらない。我々は海の仕事でもない限り船を操船することはあまりない。陸上ではいつの間にか「今やっていることを変えない」ことが美徳とされるようになった。特に日本では入学した学校は何が何でも卒業し、一度就職した会社は定年まで勤め上げ転職は”不良”のやることだと思われてきた。だからかつては転職するなどというと「履歴書を汚す」などと言われて蔑まれたものだ。

人は誰でも現状を変えることに大きなリスクを感じ抵抗感を持っている。今のままでいることに大きな安心感を感じる。山一證券や北海道拓殖銀行の破綻以降は日本でも大企業信奉はやや弱まったものの今でも多くの新卒学生は大企業や公務員になって変化の少ない人生を送ろうと願っている。それでも猛スピードで走ってくる大型トラックの前を平気で減速することもなく横切っていく原付スクーターを見ていると「こんなことで大丈夫なのかな」といささか心配になるのだ。現状を変えない、継続することに努力しているという事情があるのならわからないでもない。しかしただ漫然と今やっていることを続けているだけで何も考えていないのではないかと思うのである。本人は「何か困ったこと」にすら気付いていないのかもしれない。

冒頭の横断歩道の話に戻るが、決められたことであっても他の誰かが行動しない限り自分は現状を変えようとしないのは日本人の悪い癖だ。ボクはイギリスには行ったことがないがロンドンでは横断歩道の前に歩行者が待っていれば信号がなくても車は止まるらしい。西欧の各地でもそれが普通のことだと聞く。しかしアジアではほとんどの国では車は全く止まろうとしない。どちらがいいという話ではない。しかし時には一旦止まって冷静に考えることが必要なのではないかと思うのだ。

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