将棋と麻雀

最近は将棋や囲碁、オセロなどの世界ではAIの活躍が目覚ましい(らしい)。中にはAIが人間に勝った試合などもあって、逆に人間がAIから戦略などを研究するような時代になっている(らしい)。

ところで麻雀やポーカーなどではどうなんだろうか。将棋や囲碁は全くイーブンな状態からゲームが始まる。将棋は決まった位置に駒を配置し囲碁は盤面がまっさらな状態で始まる。この時点では勝負する両者に優劣はない。あとは先手後手の差だがここには基本的に運の要素はない。一方で麻雀やポーカーでは最初に手牌や手札が配られる。その後もツモったり親から配られるカードは運次第だ。つまり勝負の中に”運”の要素が多分にあるゲームでもAIはその威力を発揮できるのか、ということだ。

ゲームには”完全情報ゲーム”と”不完全情報ゲーム”というものがあるらしい。それでいうと将棋や囲碁は完全情報ゲームであり麻雀やポーカーは不完全情報ゲームに分類される。その方面は詳しくないので間違っているかもしれないが完全情報ゲームとはゲーム中のどの時点でも敵と味方のそれまでの行動結果がどちらにも明らかに分かるようなゲームだ。将棋では盤面にある全ての敵味方の駒や手持ちの駒は開示されていて不確定な要素はない。しかし麻雀やポーカーでは次にツモる牌や配られるカード、相手の手牌や相手のカードは隠されているのでわからない。つまり情報の一部が”不完全”なのだ。

マーケティングの世界ではどうだろうか。経済学の世界では情報のすべてが分かっている人がいるという前提で話が進められることが多いが実際には全知全能の神など存在しない。相手の手の内は常にわからないし経済の動きも予測不能である。今年のお正月に経済界の重鎮が集まった賀詞交換会では「今年は株価が3万円台になっちゃうかも」などと言っている脳天気な経営者もいたが、蓋を開けてみればもはや2万円台が維持できるのかというところまでガタガタになっている。つまり現実的には不完全ゲームの典型的な例だ。

経済がそうである以上にマーケティングも不完全である。今までは何がヒットして何がダメになっていくのかが分かっていなかったしこれからしばらくも同じような状況は続くだろう。結局は莫大なお金をつぎ込んで世の中の流行を操作するかトライ&エラーを数限りなく繰り返して少しでもいい傾向に進路が向けられるように努力してきたがやっていることは昔から何も変わっていない。マーケティングには定石があるなどという人もいるがマーケティングを実施する方法にはいくつかの有名な方法もあるが、それはマーケティングを実践するための手段であってマーケティングそのものでは決してない。

以前にも書いたことがあるが、経済学でも有名な「囚人のジレンマ」という命題がある。相手の出方によって自分の出方を変えて有利に事を進めたいのだが、相手の出方は自分には知るすべがないという場合だ。しかし現実の世界では目先の利益だけを考えるなら相手の出方によって自分も変える必要があるかもしれないが、長い目で見ればそんな小手先のマヤカシで大きな成功を手にすることはできない。エジソンにしろアイアコッカにしろアンドリュー・カーネギーにしろヘンリー・フォードにしろ常に世の中を深く見つめる目を養い感性を研ぎ澄まして人々を幸せにするために邁進する過程が結果的にマーケティングと呼ばれるようになったに過ぎない。

その結果だけを見て真似しても「仏作って魂入れず」ということになってしまうのだ。マーケティングはテクニックではない。信念があって初めて生まれるものなのだ。

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