注意一秒ケガ一生

見通しの悪い交差点にノーブレーキで突っ込んでいく自転車、その脇の歩道を前も見ずにスマホをいじりながら角を曲がる歩行者。一瞬の差で間一髪、衝突を免れて何事もなかったようにすれ違う両者。3秒も経ったらぶつかりそうになったことも忘れて同じような行動を繰り返す。そのうち実際にぶつかって痛い目に遭うまで彼らは気づかないのだろう。まぁいい。

ちょっと立ち止まって視線を左右に動かすのにかかる労力や時間はほんのわずかだ。赤信号を無視して横断歩道を渡って家路を急ぐ人たち。信号無視をして彼らが”得した”時間はおそらく10数秒である。そう、10数秒だけ早く家に着くのだ。1日に10回信号無視をすれば100秒以上の時間を稼げる。それは3分以上にもなるだろう。

その3分間を彼らは何に使うのだろう。3分間の時間を稼いだのならそれを有意義に使って利益を生み出さなければ意味がない。時間はお金のように貯めておくことができないのだから何か別の貯められるものに替えておかなければならない。そもそもその人は3分間の間に何ができるというのだろう。

高速道路を車で走っていると猛スピードで走っていく車に出会うことがある。制限時速100km/hの道を120km/hで走れば1時間後には20キロの差がつく。20キロの道のりを100km/hで走れば12分だ。120km/hで走り続ける車は1時間走ると12分得する。しかし彼はその得した12分間で何をしようとしているのだろう。

「忙しい忙しい」と口癖のように言う人がいる。忙しいならさぞかし時間を効率的に使って無駄を省いているのかと思えば意外に時間には頓着していない。やってもやらなくてもいいようなことに無駄な時間を使い、自分のために本当に必要なことにはほとんど時間を使っていない。側から見ていると何が忙しいのかすらわからないくらいだ。やっていることの意義を尋ねても自分では全くわかっていない。

ほんの数秒の時間を焦って事故を起こせばあっという間に数時間、数日、運が悪ければ何年もいや一生の時間を棒に振るかもしれない。昔から交通標語でも「注意一秒ケガ一生」と言われてきた。ほんのちょっと注意すれば防げたことを面倒臭がってやらなかったばっかりに一生の時間を無駄にすることだってあるのだ。

関東では駅のホームにあるエスカレーターは右側を空けることになっている。決まりはないが風習だ。急ぐ人が駆け上がったり駆け下りたりするためである。もっとも駅のホームでは駅員が「駆け込み乗車はおやめください!」と叫んでいるのだから大きな矛盾である。それはいいとしても都内の山手線で電車を1本乗り遅れることにどれほどの不利益があるのだろう。いや1時間に1本の汽車だったとしてもギリギリで駆け込むならなぜ1分でも早く家を出なかったのだろう。

先日、エスカレーターを駆け下りようとした初老の男性が足を滑らせて転んだ。手に持っていた紙袋が地面に落ちて中に入っていた瓶が割れた。スコッチウイスキーの「オールド・パー」だった。男性は破れた紙袋から滴る琥珀色の液体を割れた瓶ですくっていた。何だか悲しい光景だった。その割れて地面にこぼれた茶色の液体をどうするつもりなのだろうと思った。

その人がケガをしたのかどうかはわからない。しかしホームに到着していた山手線に急いで乗るためにエスカレーターを無理して駆け下りて、もともと乗れるはずもなかった電車を逃し転んで痛い思いをし高価なウイスキーも失った。何とも情けなく哀愁を感じた。

その”ちょっと面倒くさい行動にかかる時間”は一生分を足してもおそらく1時間いや30分にもならない。本当に”得をしたい”なら普段から何をすべきなのかが自ずと見えてくるはずだ。
ほんのちょっとのことをなぜ注意しないのか。それを省く時間であなたはいったい何ができるのか、そして何を失っているのか。冷静になって考えれば誰でもわかることだ。

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