専門家に相談してはいけません

テレビや雑誌のコラムではテーマとなっている話題についての”専門家”が必ず顔を出す。取り扱うテーマに関することなのだから専門家が呼ばれて当然だし専門家の意見がなければ手も足も出ないことも多い。呼ばれた専門家はそのテーマについての概略や世間での評価を一般論として語ることも多いがその裏にある隠れた問題を提起することもできるので、普通の人では気づかない盲点を明らかにしてくれるという意味で非常に重要な立ち位置にある。

「専門家」とは文字通りある一定の分野を専門的に研究したり調査してその分野の事情に詳しい事情通だったり研究者を指す。それはおしなべて雑学のような浅くて広い知識に比べて問題を”専らその部門に限定して”深く掘り下げて考察することによって得られた知識を持っている。

皆さんにも学校のテストや受験勉強などで経験があるように英語について人並み以上に力を入れれば社会や理科、数学を勉強する時間は減る。人は誰でも同じだけしか時間を持っていないのだから当然だ。それをどこにどのように使うかでおのずと得意な分野が決まってくる。

以前に勤めていた職場に新入社員が配属されてきた。彼女は有名国立大学の英文科を優秀な成績で卒業し英語もペラペラだった。年末のパーティーではイギリスから出張でやって来ていたイギリス人やドイツ人とも流暢な英語で談笑していた。

年が明けて新しいプロジェクトが始まった。デンマーク人と一緒に始まったプロジェクトに彼女もメンバーとして参加することになった。デンマークの公用語はデンマーク語である。しかし我々は誰もデンマーク語を話せない。しかしデンマークでは第二外国語は英語なのでデンマーク人は英語を話す。日本人も中学校から英語を習ってきたので幾分話せるが何とも心もとない。そこで英語が流暢な彼女に白羽の矢が立ったわけだ。

プロジェクトの初日、デンマーク側のリーダーは言った。「ワタシタチにとって英語は外国語です。ニホン人のみなさんにとっても英語は外国語です。条件は同じです」。しかしご存知のかたも多いと思うが北欧も含めてヨーロッパ人の英語はどこの国の人でもおしなべて流暢だ。そもそもの言語体系が英語と共通する部分が多いので日本人にとっての方言に近いところもある。日本人の話す英語は概ね理解してもらえるのだがデンマーク人の話す英語は半分も聞き取れない。

そこで英語で抜擢された彼女に応援を頼むのだ。

「今のは、彼はどういう意味で言ったの?」

ところが彼女にもさっぱりわからないのだ。そのプロジェクトはITシステムの開発プロジェクトでありデンマークのシステムを日本のビジネス環境に合わせてローカライズ(現地に合わせてカスタマイズすること)することが目的だった。しかし彼女は英語は文法から文学まで深く学んでいたがITについての知識は皆無だった。ITシステムの基本すら学んだことがなかった。つまり相手の言っている意味が全くわからないのだ。だから”localize”という単語一つとっても「地域化」と訳す。自分で訳したあとで「あの~『地域化』ってどういうことですか?」という具合になってしまうのだ。仕方がない。彼女には全く責任がない。「英語が話せる人はすべてのことに詳しい」と思い込んでアテンドした人間の失敗だ。

ある分野で超一流のことを成し遂げた人が世間一般の常識について驚くほど無知で疎くトンチンカンなのを見知った時には驚きを禁じ得ない。モデルのような美しい女性が世界地図の中での日本の位置がわからないのを見たときのような驚きだ。

ボクのような凡庸な人間は、一芸に秀でた人はあらゆる分野で優れているという幻影を持っている。イケメンの男は仕事もでき頭もよく背も高くてスポーツ万能のように思っている。容姿がきれいな女性も頭がよく聡明で整理整頓も出来てきれい好きなのだと思う。しかしそれらの間には何の関係もないし彼ら彼女らにも責任はない。こちらが勝手に思い込んでいるだけなのだ。

専門家は専門家なのである。専門の分野には一家言持っているが専門以外の分野では他の人と変わらない。いや専門分野に秀でているほどそれ以外のことでは平均的なレベルにすら達していないことが多い。いやだからこそそれが彼らを「専門家」にしているのだ。

だからその人の専門以外のことを根掘り葉掘り聞いてはいけない。彼らも人間だ。専門家だというプライドがある。自分の持っている専門知識だけを総動員してわからない問題に答えを出そうとする。だからそこで得た答えはバランスを欠いている。法律の専門家は法律のことしか考えず税理士はお金のことしか考えない。システムエンジニアは何でもコンピュータで解決しようとするだろう。当然だ、その人の専門分野の目線でしか考えられないのだから。

専門家は自分の専門の中でしか考えられない。そして常に自己肯定しかしない。自分を批判することはその分野をすべて否定することだと思っているからだ。

だからバランスの良いアイデアを求めるならそれぞれの専門分野が異なるセカンドオピニオンを探すことだ。もちろん専門が異なるセカンドオピニオンも偏った答えをだすだろう。それぞれの専門が異なれば全く違う発想でものを考える。だから最後にバランスを考えられるのは他でもない自分自身だけなのだ。

「政治学専門」
「経済学専門」
「化学専門」
「医学専門」
・・・

専門分野は星の数ほどあって細分化されている。何を重要だと思いどこでバランスをとるべきかを考えるのは常に自分だ。
最後の答えはいつも自分の中にしかない。

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