第六感

ボクはテレパシーとか超能力といったようなものは一切信じない方である。だから小学生の頃に友達の間で超能力や念力が流行ったときにも割と冷めた目で見ていた。しかしクラスではピラミッドパワーやこっくりさんと無関係に生きていくことは不可能だった。休み時間になれば必ずどこかでやり始めるヤツはいたし、それをあからさまにバカにして信じないといえば呪いをかけられた。別にボクは呪われてもいいのだが熱心な友達の白ける顔を見るのが何とも残念な気持ちになるのだった。その時だけ信じたふりをすればみんなが和やかになれるのだから。

スピリチュアルという言葉がある。”霊能”とかそういったことを表す言葉なのだろう。ボクには超能力と同様に霊能力を信じる能力もなかった。だから強盗やヤクザは怖いと思ったが幽霊や怨霊というものにも興味がなかったし怖いとも思わなかった。しかし一方で、ほとんどはトリック写真だったと思っていたがUFOや宇宙人はいるかも知れないなと感じていた。実際に見たことはないけれど現実にいても不思議ではないと思うからだ。

人には一般的に見る、聞く、触る、嗅ぐ、味わうの五感が備わっている。それ以外に”勘”ともいうべき「第六感」という言葉がある。つまり五感以外の感覚のことである。それが何なのかと言われればよくわからない。

誰か他所の家にあがるとその家に独特の匂いを感じることがある。恐らく普段からその家に住んでいる人には感じない匂いなのだと思う。普段からアタリマエに匂っているのでその人の嗅覚が余計な刺激を減らすために無視するようになったのだと思う。もしかしたら、いやもしかしたらの話だが我々にも生まれながらにして五感以外の何かを感じとれる何らかの感覚器が備わっていて常に何かを感じているのだが、既に脳(かどこか)が意識をすることができなくなっていてしまっていて刺激として受け止められなくなっているものがあるのかも知れない。

実は先日読んだ本の中にこんな話題があった。イルカやコウモリの仲間にはエコーロケーションという一種のレーダーのような機能が備わっているという。それは人間が声を出す声帯のような器官とは違うメロン器官というものを使って発信しているのだという。もちろんイルカやコウモリには濁った水の中を泳がなければいけなかったり光のない真っ暗闇の中を飛ばなければいけないという個別の事情がある。そのために”目で見る”よりも効果的な”超音波”を使うようになったのだろう。

もちろん彼らは普段からそういった感覚器を使っており感覚の一つとして意識していることは間違いない。そう考えると人間が感じ取れる感覚というものが5つだけに限られる必要はないと思うのだ。

例えば「脳波」というものがある。詳しいことはよく知らないが生き物の脳内を流れる微弱な電流の一つらしい。普段我々は生きていく上で脳波のことなどは意識していない。しかしそれなりの機器を使うことで頭を切り開いて電極を差し込むことなく頭の外側から脳波を検知することができる。つまり非常に微弱ながら体の外側に何らかの変化が現れているということにほかならない。

つまりこれは拡大解釈すれば脳波が体の外側に発射されているということだ。それは「テレバシー」などと言われると急に胡散臭くなってしまうが、もし仮に他人の脳波を感じ取れる何らかの器官がある人にとっては、他の人が頭の中で何を考えているのかを感じ取れる可能性を否定するものではないと思うわけだ。これは他人同士の脳と脳が言葉(音)という手段を介することなく通信(と言っては語弊があるかも知れないが)できるということだ。もちろんそれは必ずしも脳である必要はなく手のひらだったり足の裏でも構わない。

すると常識的には超常現象のように思われている五感以外の方法で何かを感じ取るということが別に非科学的なことだとは思われなくなってくるのだ。人が何かを見たり聞いたりできる能力だって光のない世界や空気のない世界では超常現象のようなものである。仮に最初から光や空気のない世界で生きている生き物がいたとすれば人間が物を見たり音を聞いたりすることさえ想像もできないだろう。

それは人間がかつては持っていた能力だったのかも知れない。人が物を見たり会話をする中でいつしか必要がなくなって衰えてしまった能力なのかもしれない。そんな事を考えているとあらゆることに対して最初から「できるわけがない」と決めつけることの愚かさを感じるのだ。

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