やりたくないこと

やりたいことだけをやりたいという人がいる。いや多くの人がそう思っていると思う。やりたくないことは誰だってやりたくない。あたりまえだ。楽で、自分が楽しくなって、夢が叶うようなことだけができるなら誰だってそう思う。「誰かのために尽くしたい」と思う人だって同じことだ。誰かに尽くすことが自分にとって一番やりたいと思うことならそれを真っ先に優先してやりたいと思っても不思議ではない。

自分がやりたいこととは何だろう。お金持ちになれることだろうか、幸せになれることだろうか、偉くなることだろうか、誰かに褒められて尊敬されることだろうか。どうなったらお金持ちだといえるのだろうか、幸せだといえるのだろうか、偉くなったといえるのだろうか。お金を使うことにストレスを感じなくなったらそれはお金持ちの一つかもしれない。お金がなくなる心配をしないで暮らしていけることはなんと安心で心地よい気持ちになるのだろう。考えただけでも笑顔になれそうだ。

もしも自分がそんな暮らしを手に入れたとしたら次は何をしたいと思うのだろう。世のサラリーマンは定年になって仕事を辞めたら好きなことだけをして生きていきたいと思うのだという。それはゴルフだったり山登りだったり海外旅行だったりするのだろう。毎日コースで好きなだけゴルフをしたり世界中の世界遺産巡りをしてみたりしてそれは楽しいことだらけだ。そしてまた家に帰ってくる。

その時あなたは何をしたいと思うのだろう。家に帰って普通にご飯を食べてつまらないテレビを見てお風呂に入ってのんびりした時に「あぁやっぱり家はいいなぁ」と思うかもしれない。

「東京物語」という昭和の古い映画がある。結婚して東京に住んでいる息子娘夫婦のところに田舎から両親が東京見物にやってくるという話だ。初めて東京にやってくるという都会に不案内な両親のために戦死した次男の嫁が退屈しないように毎日東京の街を案内することになるのだがそこには事件などは何も起こらない。ただただ普通の暮らしがあるだけだ。両親はすでに隠居しているので時間だけはいくらでもある。やがて妹は兄には「お父さんたち、いつまでいらっしゃるの?」などと言い始める。自分たちはお互いに仕事もしており、たまの休日を年寄りの東京見物で潰されてしまうのはそろそろおしまいにしたいと思い始めている。そんなある意味、日常の退屈を淡々と描いた小津安二郎監督の名作だ。

一方で「スターウォーズ」という映画がある。その中で話の中心にあるのは「冒険」「戦争」「権力」「恋愛」などである。言ってみれば非日常だけがクローズアップされている。だからこそ空前の人気映画になった。そこには「普段の食事風景」もなければ「夫婦の会話」も出てこない。お風呂で汗を流したり、テレビを見て主人公が「つまんねぇなぁ」などということもない。食事風景がことさらフューチャーされることもない。日常を極限まで排除したストーリーだけがそこにはある。

基本的にボクは今、やりたいことを仕事にしてやっている。たまにはやりたくないこともあるが、やりたくないことにも自分なりに意味づけをしたりして「やりたいこと」として仕事をしている。

でもやりたいことだけをやっているとなぜか心が空虚になることがある。やりたいことだけをやり続けるにはエネルギーが必要だ。やりたくないことならイヤイヤでも何も考えずに体だけを動かして入れば済むこともあるしそれに対して罪悪感も感じない。なぜなら自分はやりたくないことを「してやっている」のだから。

やりたいことだけをやっていると自分はアウトプットし続けていることになる。全てを自分の中に蓄えてきたエネルギーだけで賄わなければならない。そこには違う視点から見た思考が入り込む余地が少ないように感じている。それは往往にして自分の中の考えから外に出られなくなるのではないかと思っている。

今のボクが感じているのは、やりたいことばかりやるのではなく、中にはやりたくないことも少し混ぜたほうが自分自身は成長できるんじゃないかということだ。もしかしたらその方が、やりたいことがもっと楽しくなるような気がしているのだが、果たしてどうなんだろうか?

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