ハラスメント流行り

しばらく前から「セクハラ」だの「パワハラ」だのが猛威を奮っている。いやセクハラやパワハラが増えているという話ではない。「それはセクハラだ」「それはパワハラだ」と指摘されることが多いという話だ。多いなんてものではない。時にはハラスメントの乱用ではないかと思われる事案まで出てきている。

最近面白かった(と言っては失礼だが)のは一連のスポーツ業界ハラスメント事件の中でも体操業界での報道だ。
最初は体操協会の嫌がらせ事件の様相を見せていたのだが、しばらく見ないうちにいつの間にか体罰の問題になっていた。「選手をぶったことはいいのか悪いのか」という話になっていた。さらにぶたれた選手が「私は納得しています」などと言い始めたらしい。これはもはやパワハラ問題ではなく体罰や暴力の問題になっている。しかしマスコミは”今流行り”のパワハラとして売り出したいがためにテーマを手放すつもりはないらしい。

権力のある者が弱い者をナブリモノにする習慣は古代から普通に行われてきた。嫌がらせの権化のようなトランプ大統領も「お前はクビだ!」という人気TV番組を持っていた。正当な理由なく社員をクビにすることは暴力ではない。しかし横暴だ。社員はボスには逆らえない。その立場を乱用して部下をクビにするのはパワハラといってもいいだろう。

今では職場でオジサンが女性社員に「飲みに行かない?」と声をかけるのもセクハラだといわれる。もっとも脂ぎった顔のオッサンに行きたくもない飲み会に誘われるのは迷惑だろう。嫌なら「イヤです」と言えればいいのだが日本の会社では「可愛げのないやつだ」と思われ仕事にも影響が出かねないのでかつては渋々付き合うことも多かった。若手の男性社員も上司のオヤジから「若い(女の)子も誘っておけよ」と命令されてこちらは冗談抜きで出世に関わるので嫌がる女の子を何とか説き伏せて付き合ってもらったものだ。

ところが最近では職場で女性社員に声を掛けるだけで「セクハラだ!」と訳のわからないことを言われかねない。もはやこれは「男女八歳にして席を…」の世界である。それを見ているくせに経営者は「男女の垣根なく自由闊達な議論を」などとハッパをかける。どこで地雷を踏むかわからないところで自由闊達も何もないのである。

言っておくが、セクハラもパワハラも基本的に悪いことだということは分かった上で言っている。しかしあまりにも使いすぎてはいないだろうか。職場で女の子と目があっただけでセクハラだと言われる。後輩に「飲みに行こうか」と誘えばパワハラだと言われる。学校で生徒の名前を呼び捨てにしたらパワハラだと言われる。もう何をしてもハラスメントの危険がある。家に引きこもって何もしないでジッとしているしかない。そうか、だから老若男女問わず引きこもりが増えてきたのかも知れない。

冗談はさておき、「オカマ」という言葉を使えばLGBT差別だと言われ、家で子供を叱れば虐待だと言われ、夫婦が言いあいをすればDVだと言われる。随分前の話だが飛行機の機内誌に載っていた対談でムツゴロウこと畑正憲さんがこんな事を言っていた。

「しつけは押し付けだ」

つまり躾には理由などないというのだ。
人と会ったら挨拶をしなさい、家に帰ったら手を洗いなさい、食事の前には「いただきます」と言いなさい、早寝早起きをしなさい、家の手伝いをしなさい、テレビばかり見てはいけません、箸は正しく持ちなさい、人の悪口を言ってはいけません、先生のいうことを聞きなさい、お年寄りを大切にしなさい、一日一善!
ほとんど日本船舶振興会のコマーシャル(いつの間にかなくなってしまったが)のようになってしまったが親の言うことには無条件で従えということだった。「どうして?」と問うことは許されなかった。今にしてみれば理由など後付でいくらでも見つかるのだが「子供は黙って親の言うことを聞け!」というのが当たり前だった。躾というものは「押し付け」なのだと話していた。その当たり前はいつの間にか当たり前ではなくなり下剋上の様相を呈している。

もう何もできない世の中になってしまった。口にしてはいけないことが多すぎて他人とコミニュケーションを取ることが難しい時代になっている。「京言葉」の世界である。他人の家を訪問して「ごゆっくり」と言われれば「早く帰れ!」という意味だなとか「元気のええお子さんやなぁ」と言われれば「うるさいから子供を静かにさせろ」という意味だったりする。これからは現代人も今の京言葉を考え出さなければいけないのだろうか。いやいや、口に出す言葉とその意味が違うだけでパワハラがなくなるのだったらこんなに簡単なことはない。根本的に履き違えている。

いいことは「いい」と、悪いことは「悪い」と、嫌なことは「嫌です」と言えばいいだけではないのか。もっとも正当な業務命令に「嫌です」と言えばクビになることは覚悟しなければならない。それは社員の義務なのだから。やりたくないからやらないというのはいつの時代でも許されることではない。

今の時代はとかく他人と口をきくことに気を遣う。それは相手が気分を害するかどうか気にするからではない。いつ足元をすくわれてトラブルにならないか恐れるからだ。それでいて「コミュニケーション障害が多い」と指摘する自称専門家が多い。そりゃ障害も起こすというものだ。しかし相手の足元をすくって勝ち誇った気になっている人達に言いたい。そんなことをして一番損をするのは他ならぬアナタなんだと。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください