うっそー?!

電車に乗っていると一緒に乗り合わせた通学途中の女子中高生が楽しそうにおしゃべりをしている。若いということは何もかもが楽しく面白く見えるらしく笑いが絶えない。ボクにもそんな時代があったのかも知れないがもうすっかり昔のことで忘れてしまった。そんな彼女たちの一人が突然「うっそー?!」と奇声を上げた。別の珍しいことではない。普段の光景だ。声を上げた子も別に相手の言ったことをウソだと疑っているわけではない。どちらかというと驚いてみせているだけだ。言われた子も相手が驚くくらいのことを教えてあげたんだと思って得意げだ。

中には「うっそー?」と言われると「自分が嘘ついてるみたいに言われて気分が悪い」という人がいる。ちょっとコミニュケーションが下手な人なんだなと思って見ている。言い方もあるが相手の真意を汲み取ろうという努力をしていないのではないかなと思う。「ウソつけ!」と言われて気分が悪いならある程度は理解できる。しかし相手の言っていることの真意を汲み取れないのは円滑な意思の疎通を阻害する。

話をしている相手と意思の疎通を図るにはお互いの知識レベルが似ていないといけないという条件がある。相手の話のバックグラウンドがわからなければ真意を汲み取るべくもない。
人の考えはそれぞれが生きてきた環境によって様々な見方がある。自分のことだけを前提にして考えを組み立てようとしても偏った見方しかできないことが多い。少しでも相手の生きてきた環境に自分を置き換えて見なければ相手の心の奥底を想像することはできないからだ。

つまらない例だが、今の20代の若者であれば電車の駅の改札を人が立ってやっている光景など想像ができないだろう。最近の子供は公衆電話のかけ方がわからないという。ダイヤル式の電話機を使ったことがなかったり、和式のトイレの使い方がわからなかったり、水道の蛇口をひねるということを知らなかったりする。昔は当たり前だったことも今では想像がつかないほどに生活環境も変わっている。

それでも自分の想像を超えた考え方をする人はたくさんいる。「どうしてそういう考え方をするの?」という人は珍しくない。不運にもそんな人と話を合わせなければならなくなったときにあなたならどうするだろうか?

どうしても自分が相手の考えていることを慮れない状況になってしまったなら、積極的にこちらから話すことはしないのが肝要だ。こちらが話していることも恐らく相手にとっては受け入れられない内容であることはほとんど間違いない。そこでお互いが自分の思いをぶつけ合っても相手を理解することはまずできない。

相手の考えていることにおよびもつかなければ相手の話をよく聞き続けるだけだ。恐らくは相手の話をいくら聞き続けても思想の根底が全く違ったならそれでも相手のことは理解できないだろう。その結果、自分が相手の考えと相容れないということがわかったとしてもその相手と議論して打ち負かす必要などまったくない。議論しようとしたところで不毛な結果に終わるだけだ。

だから心の中で「そういう考えの人なんだ」と思っていればいいのだ。ボクは「そういう考えをする人もいる」ということを知ることができたぶんだけ自分が成長したのだと思うことにしている。

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