リスク評価

8月に四国や中国地方では大規模な豪雨災害が起こった。特に広島県地方は火成岩である花崗岩が風雨で侵食されて崩れた真砂土(まさど)が固まったものが堆積している地域が多く、多量の雨が降ると崩れて流れ出しやすい地形なのだという。数年前に広島市で起きた大規模な土砂崩れの際にも崩れ出た真砂土で多くの人が犠牲になった。痛ましい災害であり被害に遭われた方々には心からお見舞いを申し上げるとともに、犠牲になられた方のご冥福を祈る。

今年の水害では岡山県の真備町も大規模な土砂災害と浸水被害に遭われ全国ニュースでも連日大きく報道された。
この地域では事前に自治体がハザードマップを作っており、川の堤防が決壊した際の浸水域想定は実際に浸水した範囲とかなり正確に一致していたらしい。

今回これらのハザードマップが生かされたのかそうでなかったのかは今後の検証を待たないと何とも言えないところだ。しかし今回は実際に被害が出たことやその被害の大きさは別として、被害想定がある程度できていたことは評価すべきだと思っている。

先の東日本大震災は、すべてとは言わないが、自然災害に対する行政や国民の考え方に多くの影響を与えたのではないかと思っている。

それまでの日本の行政や大企業においては、災害が起きる前から被害の大きさありきで行政や企業が「発生する津波は8m以下」などと被害の範囲を先に決めておき、それに合わせて災害の大きさやリスクを考えていた。災害が起きる前に「この程度の被害で収まってくれないと困るから起きる災害はこの程度ってことにしておこう」というような考え方だ。まったくもってナンセンスとしか言いようがない。

しかし東北では専門家の間で”起きるはずがない”と言われていたマグニチュード9.0の地震が起こった。いやそれ以前に2004年にはインドネシアのスマトラ島でマグニチュード9.1の大地震は起きている。

「この被害の大きさにするにはこの程度の災害で収まってくれなければ困る」とは誰が考えるのか。少なくともフクシマの事故を起こした原発を設計した東京電力や東芝、旧原子力安全・保安院(現在の原子力規制委員会)の面々はそう考えていたことがその後の調査でも明らかになっている。

自然災害は大企業や行政、人間の都合など考えない。科学者が「これ以上お金をかけたら採算が取れないからこれ以上の災害は起こらないことにしよう」などと考えたとしたら、それはもはや科学者ではない。

日本人は出来レースが好きだ。特にお役人と議員センセーは大好きだ。大企業の経営者も大好きだ。彼らの中では、結果は常に最初から決まっていなければならない。奇しくも第二次大戦時の旧日本軍の作戦はほとんどがそうだったことが検証されている。「負けるわけがない」と言っていたが実際には負けるべくして負けている。

根性論ではリスクも事実も変わらない。リスクは最初から厳然と存在しており責任者はそれを見ないようにしていただけだ。しかし見ないようにしていてもリスクがある限り起きる時には起きる。

自然災害も事故も避けられないことはある。だから「考えなくていい」ということではない。それでも「もし起きてしまった時にはどうするか」という次善策を考えられるようになってきたのは、あの大地震の残してくれた唯一の遺産なのではないかと思っている。

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