報酬至上主義

「牛乳買ってきて!」と子供の頃に母親に言われて「お駄賃くれる?」と言い返した記憶はないだろうか。子供は正直だ。報酬がないのなら働かない。いや買ってくる牛乳は自分も飲もうと思えば飲めるのだからタダではない。自分にとっていいことならそのいいことを報酬と思えるはずなのに、報酬は現金で貰わないと気が済まない。オトナになると多少のカネのことでギャーギャー言うのもみっともないので我慢することもあるが基本的な部分は子供の頃から変わらない。

社員は楽して高い給料を欲しがり、すぐにサボろうとし、大した仕事もしない上にモチベーションは低い、と社長(経営者)はグチを言うがそんなのはアタリマエだ。社員は会社のために働いているのではない。他でもない自分のために働いている。

ほとんどの経営者はそれを勘違いしている。社長にとって会社は自分だ。会社のために働くことは取りも直さず自分のために働くことである。「会社は社員(あって)のものだ」という社長がいる。しかし社員にとって会社は自分ではない。会社は社長のものだ。

社長は、会社のためなら社員はタダでも働くと思っている。社長にとっては”会社”=”自分”なのだから働くことはすべからく自分のためだ。しかし社員にとって働くことは”給料をもらうため”だ。給料をもらえないのなら働くことはない。会社だけが儲かっても一切自分のためにならない。

社員は報酬をもらえるから働くのだ。それもいつだかわからない未来の報酬ではない。目に見える今すぐの報酬だ。タダで、もらえるかどうかわからない報酬を当てにして働いたって得するのは社長だけだ。自分ではない。社員にとって”会社は社員のもの”では、決してない。

大企業では”内部留保”が増えている。儲けたお金を社員に分配せず会社の貯金として積み上げている。だから会社は抜群に儲かっていても給料はさほど上がらないか横ばいだ。

会社が儲けていることは社員だって知っている。もちろん社員の頑張りだけで儲けたカネではないが、社員は”自分が頑張ったからだ”と思っている。にもかかわらずそれが見返りとして給料に反映されなければ「会社に騙された」と思うのが普通ではないか。

「社会経済に何かが起きたときの保険に」と社長は言うが、何か起きた時に真っ先にクビを切られるのは社員だ。会社の安泰のために自分が当然もらうべき儲けの一部を会社に差し出したのに、何かあれば会社だけが安泰で自分だけが放り出されるのだ。

バブル崩壊以降、我々はそんな現実を見過ぎた。「会社は村だ」「社員は家族だ」などと思っている社員などもうとっくの昔にいない。
そんな甘い夢を見ているのは社長だけだ。「裸の王様」でしかない。

業務命令には報酬が伴うが、自発的な行動には報酬が保証されないから社員は常に命令が出るまで何もしないで待っている。命令が出ても貰える報酬以上のことはやらない。それ以上のことをやっても得するのは社長であって自分ではない。

だから命令する人の考える以上の価値は決して生み出せない。サラリーマン社会の効率が悪く進歩が遅いのは、自分が良かれと思って付けた付加価値が評価されない事による。評価とはすなわちカネだ。

だから、どうしたら一番いい物ができるのかよりもただひたすら命令に従って報酬を確実にもらうことだけを優先する。それほどまでに社員にとって報酬は大切なものだ。

でもそれで自分が生きている価値はあるのかな、とも思う。命令されたことだけをやるのであれば機械と一緒だ。いや機械の方がすばやくミスなくやり遂げるだろう。

自分自身が命令された以上の付加価値を付け加えることは自分自身にとっての報酬だと思えばいいのではないだろうか。言われたこと以上に考えること、工夫することで身についたスキルや経験はクビになっても他人に奪われてしまうものではない。それこそが自分にとっての貴重な報酬になるような気がしている。

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