活字を読む

子供の頃、学校から帰ってテレビばっかり見ていると親に怒られたものだった。今ならさしずめゲームばかりやっていて怒られている子供と一緒だ。もっとも我が家のチャンネル権(どの番組を見るかの選択権)は完全に親に握られていたので子供が好きな番組を見られるのは夜7時までだった。家でも学校でも「本を読め」と言われた。図書室で本を借りるような子がよい子で、暗くなるまで草野球なんぞにうつつを抜かしているような子供には”ダメ”のレッテルが貼られた。

ところが大人になると不思議なことに、そんなに好きではなかった本を読むということに魅力を感じるようになることがある。今では調べ物ならインターネットでヒョイヒョイと出来る時代だが本を読んだり辞書をひくことで自分が知ろうと思っていた項目以外の知識も同時に身につくことが多い。そこで「さぁこれからは本を読んで面白いことをたくさん知ろう!」と思うのだが、残念なことにその頃には小さな活字などほとんど見えなくなってしまっている。今では老眼がますます悪くなってきて暗いところで字を読むのはまず不可能だ。

その頃の子供にとっての本といえば漫画週刊誌が一般的だった。ジャンプやマガジン、サンデー、チャンピオンなどたくさんの漫画が発行されていた。育ったのが田舎だったので小学生の頃から塾に通う友達などほとんどおらず、学校での話題といえばドリフの「8時だよ全員集合!」と漫画雑誌のことばかりだったような気がする。ところがボクの家では漫画雑誌を買うことは許されておらずテレビもよる7時以降のチャンネル権は子供になかったので学校で友達同士の会話に加わるのには結構苦労した。

たまに友達の家に遊びに行ったときにはそこにある漫画雑誌を片っ端から読み漁るのだが、友達が漫画を読むスピードはボクの3倍ほどもあり全く太刀打ちできなかった。ボクが1冊読み終える間に友達は3~4冊を読み終えているので「さぁ外で野球をしよう!」ということになってもろくすっぽ漫画を読めていないのだった。

家に漫画がないので仕方なく家では小説や図鑑ばかりを読んでいた。それらの本も決して読むのは速い方ではないと思う。遅くもないと思っていたので普通だったのだろう。

ところがある日、学校の授業で先生が1人の生徒の名前を呼んで「タナカ!15ページの最初から読め」と言った。ところがタナカくんは立ち上がったものの読み始めてもつっかえつっかえで全然先に進めない。その子は漫画を劇的なスピードで読んでいた例の友達である。最初はふざけているのかと思った。5分ほども1行目でつっかえているとやがて先生は「続きをサトウ、読んでみろ」と言った。ところがサトウくんもつっかえてしまい全く読めないのだ。サトウくんだって漫画を読むスピードはボクとは比べ物にならないくらい速いのだ。

彼らがどうして音読が苦手だったのかはわからない。それとなく訊いても「本読むのが嫌いなんだよ」というばかりだった。でも彼らだって決して学校の成績が悪いわけではない。いや概して悪かったがボクもほとんど変わらなかった。先生は3番めにボクの名前を呼んで「読め」と言った。15ページの最初から読み始めると特に上手でもない棒読みにもかかわらずクラス中から「オーッ」という声が上がった。

クラスには普通に本を普通に音読できる子が3人ほどしかいなかった。当時は1クラス50人ほどの学級である。そしてその3人も家で漫画やテレビを禁止されて絵のない本しか読めなかった家庭の子だった。
恐らくは家でビジュアルに触れる機会が少なかったので家にいるときは本を読むことくらいしかやることがなかったので活字に慣れていただけのことだと思う。活字を読んでいるとそれがビジュアルとして頭の中に入ってくるのでストーリーや言い回しが先読みできたわけだ。それはそれ以外の普通の子達が漫画の絵をすばやく理解できたように。

子供の頃に活字を読む習慣をつけなかった人は一生活字をあまり読まなくなる。それは多分、字を読むことが億劫になるからではないかと思う。ボクも若い頃には手当たり次第本を読んだが、歳とともに老眼が入ってくると本を読むことが段々と億劫になってきた。兎にも角にも字が見えないのだ。読もうと思えば老眼鏡を掛けなければいけない。メガネを取りに行くのが面倒なのだ。
だから今では身の回りのいたる所にメガネを置いている。読みたい時にはすぐに手が届くようなところに10本近くも用意している。

活字を読む習慣がないと生涯に渉ってインプットされる情報が圧倒的に少なくなる。漫画ならまだしも映像を見てそこから同じ量の情報を吸収するには圧倒的に時間がかかるからだ。だからといって困るのかと言われればそんなこともない。ただインプットが少ないということは人生の中で多くの楽しみを知らないでいることにもなりかねない。先日も書いたように「知らないことは見えない」のだ。
もっともそれが今の時代に人生を有利にするかどうかはわからない。脇目も振らず受験勉強に励み、いい学校に入って大企業に就職することが目的ならば、よそ見をして余計な回り道をしてしまうよりは効率的な気もする。それが証拠にボクの小学校時代の国語の成績は良くもなければ悪くもない平凡なものに過ぎなかった。

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