なんもない奈良

”灯台下暗し”とは言い古された諺である。あまりにも身近にあるが故に見えづらくなってしまうことは枚挙にいとまがない。田舎に暮らしていれば自然の素晴らしさに感動することは少なくなるし、大都会に暮せば生活の便利さを実感することもなくなってくる。ネット通販では注文したその日のうちに品物が届けられたりすることが当たり前のように思っているが、ひとたび離島に行けば配達はその日どころか1週間も2週間もかかることがある。その上に送料は1000円も2000円も上乗せされることもあるのだ。しかし一方で都会のど真ん中に住んでいると四季の移ろいや自然の息吹を感じることは稀だ。夏の花火大会や神田明神のお祭りが関の山である。

奈良県民は日頃から大坂人に「何もない奈良」とバカにされ自分たちもそう思わされているフシがある。曰く「大仏と鹿しかおらんでぇ~」なのである。確かに奈良といえば関東で育った人には修学旅行のイメージが強く東大寺の大仏と興福寺の五重塔、奈良公園で鹿に煎餅をあげた記憶しかない。だから大人になってもあえて「そうだ、奈良に行こう!」とは思わないのだ。ボク個人のことを言えばその後も何度か奈良を訪れる機会があったがそれでも印象に残る思い出は皆無だった。

先日、民放の「秘密のケンミンSHOW」という番組で”何もない奈良”を特集していた。近鉄の奈良駅前で地元の奈良県民に「奈良の名物って何ですか?」と訪ねても「名物なぁ~、何かある?」と同伴者に尋ねる始末だ。堪りかねたインタビュアが「吉野葛って有名なんじゃないですか?」と訊けば「あぁ有名やで、日本一や」と答えた。あるんじゃん、名物。恐らく地元では古くから知られているので当たり前過ぎて思いつかないのだろう。

奈良駅前の土産物屋通りには奈良漬屋や柿の葉寿司屋が軒を連ねている。しかし日本中どこでも奈良漬はスーパーで売ってるし、柿の葉寿司を名物にしている観光地は他にいくつもある。そして極めつけは大して美味しいものではないということだ。「名物に美味いものなし」という諺も古くから言われてきたが、観光客にとってはどこでも手に入る名物とも思えないものをフィユーチャーして売り出す地元のセンスがわからない。鶏も名産らしいが他よりもずば抜けて美味いかといえばそれほどでもない。

逆に地元では全く宣伝していなかったが”水茄子”は美味しかった。食堂や居酒屋では「水茄子の揚げ出し」や「水茄子田楽」などで提供されていたが、これはなかなか他では食べられない美味しさである。聞けば大阪の泉州あたりでは水茄子の栽培が盛んで普通に食べられているのだという。もちろん泉州(大阪市南部)が本場なのだが隣の奈良県にも出荷されたり奈良でも生産されているらしい。これは関東のスーパーではなかなか手に入らない名産品だ。しかもその名の通り水分が多い品種なので保存がきかず地元で食べるしかないのだという、

奈良のわらび餅は大阪でも有名だった。夏になると大阪にはわらび餅屋さんが軽トラックで奈良から売りに来るのだ。ボクも大阪勤務をしていた頃には何度か食べたことがある。季節になると新幹線の新大阪駅の売店にも出ていることがあるのでご存知のかたも多いかも知れない。しかしこれは残念なことに「伊勢の赤福」を名古屋駅で売っているのと同様に大阪にお株を奪われている。

またJR奈良駅の土産物屋で見かけた「大仏プリン」は予想外にコクがあるがそれでいてまろやかな味わいは奈良の名物にふさわしい。これも生物なので現地に行かなければ味わえないことも名物になれる大きな要素だ。東大寺の大仏は一度見ればそれでいいが、大仏プリンは奈良に行く機会があればまた食べたいと思っている。”大仏”の名を冠しているだけあって巨大なフォルムにも度肝を抜かれる。もっとも小さいサイズも売っているのでご安心いただきたい。

大仏も五重塔も奈良漬も柿の葉寿司も一度味わってしまえばさほどの感動は残らない。鹿もたくさんいるがだからといって二度行く気にはなれない。「また行こう!」と思うのは行けば素晴らしい体験が出来ると思うからこそなのだ。

地元の魅力は地元の人にはなかなかわからない。普段経験できないからこそ人はそこに魅力を感じる。一度外側から先入観のない眼で見てもらうことは重要だ。自分たちが当たり前だと思ってやって来たことに外部の人間は驚くような魅力を感じるかも知れない。逆に良かれと思ってやって来たことがアリキタリでツマラナイものだと感じるのもまた外部の人間だ。ずっと内側からしか見てこなかった人には恐らくそのことに気づけないだろう。

わが町平塚には何か名物があるかな?
う~ん、何にも思いつかない(^^;

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください