天王山

大阪から京都に向かう電車が高槻の駅を過ぎた頃、山崎のウイスキー蒸留所を過ぎると左側の車窓に小高い山が見えてくる。天王山だ。東海道新幹線からもよく見えるのでご存知のかたも多いだろう。今では名神高速道路の天王山トンネルが山肌に大きな穴を穿ち、かつての姿とは大きく異なっていることと思う。
京都の本能寺で織田信長を討った明智光秀を追って天下取りに邁進しようとする豊臣秀吉が相まみえた地としてつとに有名な、ここが「天下分け目の天王山」だ。その後も幕末の鳥羽伏見の戦いや禁門の変でも要衝の地として歴史の表舞台に登場するが、古くは室町時代の応仁の乱にも登場している。

平安時代や鎌倉時代、室町時代や戦国時代、江戸時代などに天下分け目は何度もあった。逆に見れば結果的にその後の歴史の分かれ目になったからその地が有名になったとも言える。壇ノ浦、長篠の戦い、天王山、関ヶ原、大坂の陣、大政奉還など歴史は天下分け目の連続だ。歴史は常に分岐点に立ちその選択の連続が歴史を作る。
それは人の人生にも言える。もしもあの時あの場所で、とは何度も歌に歌われた定番の歌詞だ。通り過ぎた過去を選び直すことはできないが、自分自身の過去の選択の経験をこれから先の人生の選択に活かすことは出来るはずだ。

後になって初めて分かる「あれが分岐点だったのか」と思う時には人生はその時に選択した道へと既に進んでいる。引き返すことはできない。時の流れは一方通行だ。ならば過去の自分が選んだ道を信じて前に進むしかないだろう。後悔して悩んでいても何も変わらない。それどころかネガティブな心はすべての悪い事象を引きつける。

今はうまくいっていなくても一歩先には成功があるかも知れない。自分が諦めない限り失敗はない。自分が何かを諦めたときが失敗したときである。成功までほんの少しで手が届きそうなのにそこで諦めてしまえば”失敗”という結果だけが残る。

目的を決め目標を定めたらそれを信じて一歩でも前に進まなければ決して成功はない。目的を見失うことは失敗につながるが目的に近づくための目標を修正することは失敗ではない。最後に目的に到達することが成功にほかならないからだ。だが成功はゴールではない。その先の成功に向かって次の天王山を目指すのだ。

人生は決断の連続だ。
天下分け目は歴史の流れが時流に決断を下すことなのかも知れない。人は時の流れの前では無力だが人は信念を持つことが出来る。時の流れは何も考えないが人は考える葦である。