コンプックスに弱い人

先日はマザーコンプレックスは”劣等感”ではなく”依存症”だということを書いた。今回は”劣等感”についてだ。

twitterやインスタグラム、facebookなどのSNSをやっている方も多いと思うが、中にはインスタやfacebookで「いいね」をもらえないと自分はダメなんだと思う人がいるらしい。ボクなんぞはその投稿を「読んだよ」という意味で「いいね」することもあるので「いいね」をしている全員がその投稿について「いいね」と思っているわけでもない。そもそもそんなに他人と意見が全部合ったら気持ちが悪い。双子でもない限り生まれも育ちも環境もほとんど全部が違っているのだ。でもやっぱり「いいね」をしてもらいたい人は多い。

SNSで病んだ人はほとんど全員SNS依存症だ。常に他の誰かのことを知りたくなって、他の誰かに見て欲しくてすべての人から肯定されたいのだ。それは誰でもいい。誰でもいいから自分を肯定して欲しいのだ。
そんな人はちょっとでも自分に意見する人がいると自分の全人格が否定されたように感じる。常に肯定されていないと気がすまない。

見てみるといい。誰かが新しい投稿をするとあっという間に「いいね」がクリックされ「素敵です!」「可愛いね!」「あたしも行ってみた~い」というレスポンスがズラッと並ぶ。誰も「くだらな~い」とか「頭おかしいんじゃないの?」などとは言わない。そんなこと言う必要はない。そう思ったら黙っていればいいだけだ。何も好んで事を荒立てる必要はない。所詮99.9%はどうでもいいことなのだから。

たまに、否定はしないものの違う見解を書き込む人もいる。別に悪意はないけれど「こういう見方もあるよ」というサジェスチョンだ。それを「否定」と受け取る人も多い。人格を否定されたと思って”心が折れ”て他人とのコミニュケーションを取るのが怖くなる、らしい。どんだけ引き篭もりなんだろうと思う。コミニュケーションは肯定、つまり同意されることもあれば否定、反対されることもあるが、ほとんどの場合は元の意見とは違う意見を出すことでグループ内で見識を高めることが出来る。だからこそそこに議論する余地が生まれ、他人を認める(肯定する)ことの素晴らしさを実感できるのだ。常に「そだねー」「いいねー」と言い合っているだけのコミュニティに未来はない。

しかしそうは思わずに反対意見を”人格の全否定”だと感じる人は一人で勝手に傷ついて病んでいく。
先日テレビを見ていたら「だからもうSNSはやめようと思う」と言っている病んでる人が出ていた。「でもSNSをやめると繋がっている人が誰もいなくなっちゃう」のだという。いいじゃん誰とも繋がっていなくたって。繋がってる別人格があるから違う意見が出てくるわけで、それを”否定”と感じて嫌な思いをしているんなら誰とも繋がらずに1人で引き篭もっていればいいのだ。その方が本人もラクではないか。

最近ではSNS上での「友達」を自分の友達だという人が増えたが、ネットだけの繋がりなどそもそも希薄なものだ。
かつてインターネットが今ほど普及しておらずパソコン通信(パソ通)が盛んだった時期がある。盛んといってもパソコンなど持っている人はまだほとんどおらず非常にニッチな世界だった。パソ通には趣味や職業など各分野ごとにコミュニティがありお金を払って契約している人しか参加できなかったし投稿には個人IDが表示されるのである程度身元もわかっていた。
基本的にパソコンオタク同士のコミュニティなので話題は自然と”オタク”な話が多く、すぐにウンチクを披露したがる面倒くさい連中もたくさんいた。
それでもたまには「みんなで集まって飲むか!」という話になりオフライン(ネットワークから離れた)での集まり、いわゆる「オフ会」というものを開いて渋谷や新橋あたりで痛飲したりしていた。

パソ通では顔も名前も全くわからないので実際に顔を合わせてもお互いがハンドルネームで呼び合うという、知らない人から見れば異様な集団だった。それでも実際に話してみるとパソ通で思っていた印象とは全く違う人がいたり、いい人だなと思っていた人がヤクザのような風貌(実際は気質のサラリーマンでした、念の為)をしていたり、ネチネチしてしつこそうな人だなと思っていた人が実際にはサッパリした好青年だったりした。実のところ、ボクの古い友人にはかつてパソ通のオフ会などで知り合った人が今でもかなりいる。もう20年以上の付き合いになるそんな友達とは、普段はほとんど会うこともないがSNS上ではかつてのパソ通での交流と同じように親しくやり取りをさせてもらっている。

そんな長い付き合いになった人をボクは”友達”だと思っており、時には誤解や意見のすれ違いもあるが実際に会ってコミニュケーションした人とは意見のすり合わせも議論も面白い。そこにはお互いの違う意見を持ち寄ってぶつけ合う醍醐味があるからだ。
逆に言えばネットだけの知り合いなど「そんな人もいたな」程度にしか認識していない。実際に会ってナンボだと思っている。

そんな希薄な繋がりの人に「いいね」をクリックされただけで何になるだろうと思うのだ。お互いに相手のことを深く知るわけでもない無責任な関係の人に賛同されたり褒められて嬉しいのかと逆に聞きたいくらいだ。

先日、NHKで漫画家の赤塚不二夫さんの思い出ドラマをやっていた。その中で赤塚さんは「本当のバカになるには自分から裸になってすべてを見せなければだめなのだ」と言っていたがまさにそのとおりだと思った。自分の全部を見せて曝け出して笑ってもらえて初めてその人を信頼できるようになるのだと。自分を隠して着飾ってカッコよく見せようとしているうちは誰にもわかってもらえない。本心が見えないのだ。

カッコつけたりスカしていれば誰もが距離を置いて付き合う。カッコつけてウソをついて自分のいいところだけを見せていいことなんて何もない。