溺れるということ

人間は災害や怪我では簡単には死なない、らしい。土砂崩れで生き埋めになった子供が何日か後に土砂の中から助け出されたこともある。生命力とは凄いものだと思った覚えがある。
しかし人は簡単に死ぬこともある。一説によれば首を絞めても簡単には死なず5分ほども生きているというが、溺れれば一瞬で死ぬ。水中で生きる魚などの生き物は、陸上で生きる鳥などを捕らえると水の中に引き込んで溺れさせて殺してからゆっくりと食べるのだという。

夏になると多くの人が海やプールに出掛ける。近所の公園の噴水などでも歓声を上げる子供がたくさんいる。湘南海岸などでも海水浴客は年々減少傾向だがやはり夏には大勢の海水浴客が集まる。ビーチには海の家が立ち並びビールなど飲みながらくつろぐ人達もいる。その人達もビーチの暑さに我慢できなくなると海へと入っていく。

ビーチにはプールと違って海流がある。波は岸に向かって一方的に打ち寄せてくるので陸側に集まった水は離岸流となって沖に向かって一筋の川のように流れていく。広い範囲で岸に打ち寄せた波が1ヶ所にまとまって離岸流になるのでその流れはかなり早い。普段から海に縁のない方にはピンとこないかも知れないが海の潮流というのはどこで発生するか予測が難しい上に川のような激流になることも珍しくない。泳ぎが得意な人でも流れに逆らって泳ぐことはかなり困難だ。気がつけばはるか沖合にまで流されてしまうことになる。

泳ぎがそんなに得意でない人や海に慣れていない人がそんな状況になったらパニックを起こさないまでもかなりのピンチだ。誰にも見つけてもらえなければあっという間に漂流する。そこへきてビールなど飲んで脱水症状を起こしたり日頃の運動不足が相まって足が痙攣でも起こそうものなら万事休すである。人は横になった体勢でなら何とか水に浮くことができて顔もわずかに水面から出るので息をすることも可能だ。しかし波のある海面でパニック状態になってしまえば冷静な行動はできなくなる。水中に没すればあっという間に息絶える。

人は言うまでもなく陸上の動物だ。水の中では生きていけない。溺れれば息ができずにほぼ間違いなくすぐに死ぬ。ところがそのことに鈍感になっている人の何と多いことか。プールや海水浴場は身近にある。しかしそれは人が水の中に入るという危険なことをする場所でもある。かつて公共のプールなどが多くなかった時代にも、ビニール製の大きなタライのようなプールで水浴びをしていた子供が、親が目を離したほんの僅かな時間に水の中で転倒して水深が10センチほどのプールの中で溺れて亡くなるという痛ましい事故が頻発した。

息ができないということは死を意味する。フランスの哲学者パスカルも「人間は考える葦である」という有名な詩の中でこう言っている。

「風のひと吹き、水のひとしずくもこれ(人間)を殺すに十分である」

そして人間が高貴なのはそれらによって自分が死ぬことを知っているからだという。風も水も自分自身が何者であるかを知らず自分が死ぬことも知らないからだという。もし人が自分が死ぬことを知らないのだとしたら高貴でも何でもないということになる。パスカルはそんな現実的な話をしていたわけではないだろうが、一滴の水でも人は死ぬという事実は昔から変わらない。

海に潜るダイバーは水中で背中に背負ったタンクから空気を吸って呼吸している。だからトラブルが起こって空気を吸えなくなったらあっという間に死ぬ。そのことをいつも心に留めているからダイビングをしていて溺れて死ぬ人は少ない。「いま空気が来なくなったら…」と万一のことを考えて何とか助かる方法を施しているからだ。

いつも死は我々のすぐ隣りにいる。特に水の中は陸上に暮らす人間を受け入れてくれるところではない。何かが起これば重大な事態を引き起こす。だから水の中に入っている間は一瞬たりとも油断することなく、みんなが楽しい時間を過ごせることを願っている。