客観的な基準が大切です

暑くないから夏でもエアコンを掛けないという人がいる。室温は32℃。暑くないと感じているのはやせ我慢でも何でもないのかも知れない。しかしだ、暑いと感じていないのは脳だけなのかも知れない。

不当な差別や隔離政策で問題になっていたハンセン病。空気感染したりすることはないということはわかったが、実際に発症した人は治癒した後でも皮膚の熱に対する感覚に後遺症が残ることがあるらしい。要するにやけどするほど熱い熱湯に全身が浸かっても熱さを感じないのだという。
しかしタンパク質は概ね65℃を超えると熱変性を起こす。本人が熱いと感じていなくてもひどい火傷を起こして命を落とすこともある。
逆に言えば生命の危険があることに対して私たちの体は痛い、熱い、疲れたなどと感じて脳に対策を考えさせようとする。それがそういった刺激が入ってきても脳が反応しなければ対策しようと思わずに体は蝕まれ続けやがて命を落とす。

この夏は関東地方でも早くから梅雨明けし、7月から記録的な猛暑が続いた。気象庁などは”生命に危険を及ぼす暑さ”という表現を使って注意喚起をしている。
人間は哺乳類で恒温動物で体温が常にほぼ一定の生き物だ。一般的に気温は体温より低いので体温は周りの空気によって冷やされていく。人が死ぬと体が冷たくなっていくのはそういう理屈だ。だから人間は生きるために常に体の中で熱を作って体を温めるようにできている。それは基礎代謝と呼ばれる機能の一つで簡単に設定を変えることはできない。だから人は寒ければ服を重ね着し暑ければエアコンにあたったりプールに入って体を冷やす。
この機能には多少の個人差はあるものの生きている間はほぼ変わらずに機能し続ける。逆に言えばそれは”生きている”ということの証そのものに他ならない。

ところがあまりに外気温が高いと体から逃げるはずの熱が逃げずに体に溜まっていく。38℃などという気温になると体温を上回り熱を逃がすどころか周囲の空気によって体が更に温められて体温が上がっていく。人間の体温は人の体が正常に機能するために絶妙にコントロールされて一定を保っている。それがコントロールできずに暴走するということは生命に危険を及ぼす。それがいわゆる熱中症である。まず最初にダメージを受けるのは脳だ。

しばらくの間は脳が「暑い!」と感じると「水を飲もう」と思ったり「うちわで扇いで体を冷やそう」と思ったりする。それでも体を冷やしきれないと温度が高くなった血液が脳がダメージを与え始める。これがめまいや吐き気という症状として現れる。現実にはこの時点でかなり危険な状態である。そして脳が暑さを判断できないレベルにまでダメージを受けると「体を冷やさなくてはいけない」と思うことすらできなくなって間もなく命を落とすことになる。

暑い日に部屋の中でエアコンがあるにもかかわらずスイッチを切ったまま亡くなる高齢者が後を絶たない。

ある程度の年配の人にとって、自分が子供の頃のエアコン、いやクーラーは贅沢品だった。あの頃は電車やバス、タクシーに乗ってもクーラーが付いていることは少なかった。それからクーラーはエアコンと呼ばれるようになり今では屋内でエアコンのないところはほとんどない。だが高齢者はあの頃の記憶から「クーラーは贅沢」という概念が抜けずに生きている。つまり庶民にとってクーラーを使うことは”悪”だと考えているのだ。

当時の夏は今のように暑くなかった。いや確かに暑かった覚えはある。クーラーの効いたデパートに買い物に行くと言われると普段なら面倒くさくてツマラナイからと断っていたものが、夏には喜んで親のあとについて行ったものだ。しかし実際には気温が30℃を超える日は少なく、クーラーがなくても何とか我慢ができた。しかし昨今の夏は半端ない。場所によっては40℃をも上回ることが普通になっている。

エアコンを使うことの罪悪感と相まって厄介なのが「暑くない」と思う年配者の体感だ。高齢になると体のあちこちの感覚も鈍ってくる。当然、温度に対する感覚も鈍る。寒さに対する感覚は以前の日本でも体験しているのである程度は保たれるが暑さに対する感覚はほとんどの日本人にとって未体験ゾーンだ。
だから高齢者は部屋の中が高温になっても”暑い”と感じることがなく気づかない事が多い。自分の感覚が鈍くなっていることに気づいていないわけだ。

自分が”暑い”と感じることと高い気温で体が蝕まれていくことは必ずしも一致しない。暑いと思っていなくても体温が上昇すれば体の機能は壊れていく。”暑い”と感じることには個人差もあれば感覚の劣化もあるのだから、大切なのは温度計を見るなりして客観的な数字を見て評価することだ。そして勘ではなく理屈で考えよう、本当に自分の体はこのままで大丈夫なのかどうかを。政府などが推奨している室温は28℃である。この室温を超えたらエアコンのスイッチに手を伸ばすべきだろう。

35℃の屋外からエアコンの効いた部屋に入って「寒い!」という人もたくさん見かける。電車に乗っていると途中停車駅のホームから乗ってくる中高年の女性は必ずといっていいほど「寒い!」と声を上げる。車内の室温は28℃前後である。寒いのではない、涼しいのだ。
人間の感覚はちょっとしたことで騙される。錯覚は眼だけで起こすものではない。あなたがほんの半年前に経験したはずの日本の冬はもっと圧倒的に気温が低かったはずだ。それを普通は”寒い”という。
人間の体に個体差はあるにしてもそんなに大きくは変わらない。生きるための基本的な機能ならなおさらだ。脳や内蔵などの数は大抵誰でも同じだし平常時の体温は誰でも37℃前後であって20℃や50℃という人はいない。

これは気温のことだけではない。ろくに時計も見ないで「えっ,もうこんな時間?!」と手遅れになってから気づいていつも遅刻する人がいる。客観的な基準とは自分だけの独りよがりな判断ではない誰が見ても納得する数字だ。自分の勘も大切なときはある。しかしデータを揃えるなら客観的な数値で基準を作って判断することが大切なのだ。