考える人

かつて通っていた小学校の正門の横には「考える人」と題したブロンズ像があった。その小学校は当時でも創立100年を迎えるような明治時代初期に建てられた学校で、木造平屋建てや2階建ての校舎が建ち並ぶ古い学校だった。
戦時中の横須賀は「終戦後は自分たちの軍事拠点に使おう」というアメリカ軍の思惑から空襲を受けることがなかった。そのおかげもあって古い木造校舎は焼け落ちることなく戦後の時代まで残った。戦前「考える人」の像の場所には薪を背負って本を読む二宮金次郎の銅像が建っていたらしい。ただこれはご多分に漏れず日本軍に戦時物資として供出されたため、戦後になって進駐軍の指示でロダンの「考える人」の像が建てられたらしい。

毎日たくさんの事件や事故をはじめとして様々なことが起きている。それはテレビや新聞、インターネットのニュースだけではなく身の回りの小さなことまで含めると膨大なことだ。
起きたことは起きたこととして知っておくことは大切だが、その陰にあるそれを起こした要因や背景に思いを至すことは更に重要なことだ。見たままをただ受け入れるのではなくその影や背景にあるものに考えを思い至らす。そうすることで今まで見えなかった何かが鮮明に見えてくることがある。

なぜそれが起こったのか、誰が(何が)関係しているのか、影響を受けた人のプロファイルに類似性はあるのか、また起きる可能性はあるのかなどの関係性の間には確かな因果関係や相関関係がある場合もあるし見つからない場合もある。
関係が見つからなければ推測する場合もあるが、推測には概して主観的な要素が多分に含まれる。不確かな思いつきで推測したことをあたかも証拠を見つけたかのように吹聴することは厳に慎むべきだ。それらが全く見当違いの結論を導くことも多い。最近のネットに出ている情報にはこういった不確かな推測に依るものが何と多いことか。これらも鵜呑みにすれば自分も判断を誤ることになる。

何らかの問題が起きた時には「それを抑止するには何が必要なのか」という対策を考えなければならない。
もちろんそれが起こった原因は一つとは限らない。事件・事故は大抵の場合、複数の要因が複合的に絡み合って起こる。それぞれの要因が重なった表向きの原因を突き止めることも大事だが、普段からもっと頻繁に起こっている事件・事故につながったそれぞれの個別要因がなぜ起きているのかを考えることも更に重要なのである。なぜならそれはインシデントだからだ。

「ヒヤリハット」と言う言葉を聞いたことがあると思う。実際に事件や事故が起こりはしなかったがヒヤリとしたりハッとして驚いたりすることをインシデントという。一歩間違えば事件・事故になっていたかも知れない危険な因子を普段から極力排除するためにヒヤリハットの事例から要因を洗い出して取り除いていく作業を行うことは飛行機事故や大規模火災などだけではなく普段の仕事や家事の中でも十分に活かせる。
ただしヒヤリハットが起こった時にその原因を重大な要因として捉えて解決に向けて真剣に取り組まなければ意味がない。ボーッとしていてはまた同じ過ちを起こし、いつかは重大な結果となって自分の身に降り掛かってくる。

何かが起こったらその事実が思い込みや無責任な推測を排除しながら本当に意味することを考えよう。そのためにはあらゆる角度からの視点と多くの知識や経験が必要だ。それらも普段の生活の中に多く転がっている。漫然と惰性だけで生きるのではなく細かい事象に対しても「気付き」と「なぜだろう?」と思う心を持つことは小さな頃から鍛錬できる。

今の子供は試験勉強は良くするがそれ以外の実践的な知識の収集をほとんどしない。いやできない環境に大人がしてしまっているのかも知れない。受験勉強以外にやるのはゲームの攻略法や自分の趣味についての知識だけだ。

「自分には関係ない」と思うと見向きもしない。確かに目先の受験勉強には関係ないかも知れない。だが長い目で見れば自分に関係のないことなどひとつもない。先日もここに書いたが、あらゆる事はどこかで繋がっている。知識や経験が少なければその人の考えも薄っぺらくなる。できるだけ多くのことに「なんでだろう?」と思う気持ちを養っておきたい。そのためには常に考えていることこそが大切なのだ。

あのロダンの「考える人」は何を考えているのだろうか。