雨男と晴れ女

古い友だちに「風神様」と呼ばれていた女の子がいる。でも最近は呼ばれていない。本人に訊けば風神様はもう卒業したのだという。彼女が沖縄に行けば沖縄が台風に直撃されアフリカに行けばアフリカが暴風に見舞われるという。アフリカ大陸が全部暴風になったら一大事だが、人はそんな彼女を「風神様」と呼んで恐れていた。一緒に旅行に行くのはよしておこうと(笑)
実はそんな彼女と一緒にパラオ共和国にダイビングに行ったことがある。メンバーには自称雨男も自称晴れ女もいたが、パラオはその季節なりの天気で雨も降ったが総じていい天気だった。ただ夕食を食べ過ぎて彼女のお腹が崩れたのを除けば。

昔から何かにつけて誰それは”晴男”だの”雨女”だのと言われることは多い。じゃあ晴れ男と雨男が一緒に出かけたらどうなるんだ、と思うがその時にはどちらかが勝ってどちらかが負けたことになる。
そもそも晴れ○と雨◯はどちらが多いのだろうか。

常識的に考えて誰か特定の個人によってその日の天気が決まってしまうことは考え難いし、そんなことができるのなら雨乞いの儀式などいらない。それなのにみんなで出掛ける時に天気が悪いと雨男のせいにするのは昔から変わらない。そして自分のせいにされた”他称”雨男も「ごめんねごめんね〜」などと謝まっていたりする。その時だけは少なくとも彼は話題の中心だ。

雨男も雨女も自分がそう呼ばれることを楽しんでいる。呼んでいる方もその人の責任で雨になったなんて思っていない。つまりコミニュケーションツールの一つなのだ。「天気悪いね〜」とみんなが暗い雰囲気になった時に「俺、雨男だからさ、ごめんねー!」と笑い飛ばしてしまうことで場の雰囲気を明るくできるツールなのだ。恐らく言っている本人はその日の天気が良かったとしても「俺、晴れ男だからさ。感謝しろよ!」などと言っているに違いない。

そんな人はいつも誰かとうまくコミニュケーションをとる話題を探している。天気の話題は誰とでも共有できて誰も傷つけることのない当たり障りのない話題だ。家の近所で知り合いに会った時にも「暑いですね」「天気悪いですね」と言って怒り出す人はいない。しかし「安倍首相はダメ男ですね〜」などと言えば主義主張の違う人とは一悶着起こりかねない。政治や宗教のような主義主張の話は誰とでも話せるわけではない。もっとも悪者にしたり笑い者にする時には与党の大物政治家は便利な存在だ。

雨男も晴れ女も最初は大抵自分から言いだす。そして周りの人からそう言われると自分がいかに晴れや雨に縁があるのかを語り始める。そして何かがあった時に自分のキャラクターと天気が合致すればそのことばかりをみんなに言う。社会的証明を自分で作り出すのだ。逆にキャラと違うことが起こっている時には話題にしない。これはある意味、情報操作といっても過言ではない(笑)

晴れ女も雨男も実際に雨に会う確率は平均すれば他の人と同じである。雨の多い季節に旅行するのが好きな人は旅行の思い出が雨に偏るだろうが、それは本人のキャラとは関係がない。だがそれをうまく取り入れることでコミニュケーションをうまく取っているのである。そしてそれは自分のキャラをマイナスに設定した方が効果は大きい。「俺、晴れ男なんだぜ」は何だか自慢臭く聞こえるが「あたし、雨女だから」と控えめに言った方が周りで聞いている他の人に”この人は自分より劣っている”という印象を与えることができて相手を気持ちよくさせる効果がある。つまらない見栄を張るよりも自分を卑下して見せて相手に好印象を与えるのはお笑い芸人のボケ役と同じだ。

そういえばかつての「風神様」はとてつもなくお喋りだった。周りからは「あの子は喋ってないと死んじゃうから」とまで言われていた。それは時に煩いほどだが、彼女の周りには今でもたくさんの友人が集まってくる人気者だ。最近では彼女が旅行に行っても嵐を呼ぶことはなくなったらしいが、かつての神通力を話題にして周囲を笑わせているらしい。