マニュアル人間

以前勤めていたスポーツ用品店には接客や事務処理作業のほとんどすべてが書かれたマニュアルがあった。その量およそ400ページ。日々の業務はそれに則って行えば何も考えなくても滞りなく進められるようになっていた。店舗を回し運営していくには接客だけやっていればいいわけではない。商品の仕入れや在庫管理、冬には売ったスキーに穴を開けて金具(ビンディング)を取り付けたり夏にはテニスやバドミントンのラケットにガットを張ったり、お店や駐車場の掃除をしたりPOPを作って商品に取り付けたりと様々な業務がある。それら一つ一つの段取りがマニュアルに書かれているわけだ。

細かいところでいえば挨拶の仕方や「いらっしゃいませ」と言うときのお辞儀の角度や長さまで決められている。だからアルバイトや新入社員が新しく入ってきた時にも「マニュアル読んどいて」と言えばすべての教育が終わるわけだ。が、新人に全てのことがそんなに簡単にできるわけがない。まずは「いらっしゃいませ!」の声が出せない。だから新人研修では大きなターミナル駅の駅前広場で歩いている見知らぬ人に「おはようございます!」「行ってらっしゃいませ!」と挨拶する「声出し訓練」なんてものもあった。あとから聞いたところによれば新入社員教育用のマニュアルはもっと分厚いんだそうだ。

マニュアルのいいところはその通りにやれば誰でも同じことが再現できるところだ。学校の教育でも何でもそうだが、人によって教え方が違えば身につくスキルも違ってくる。全員に同じことをやらせようと思うならマニュアル通りにやらせるのが間違いがなくて手っ取り早い。本人が間違ったやり方をしていれば「マニュアル見直して」と指示するだけだ。仮に上司がマニュアルと違ったことをしていれば部下だって「店長、それマニュアルと違います」と堂々と指摘することだってできる。そういう意味でマニュアルはバイブルだった。

マニュアル化することで起きるいいことと悪いことがある。
一般に「マニュアル人間」というとマニュアルを見ないと何ごとも決められない行動できない人間を指すことが多いが、マニュアルにはそれさえ見ておけば本人が中身を理解していなくても作業がこなせるという利点がある。言い換えれば作業を理解していなくても出来てしまうということだ。

例えば数学や物理を勉強していると”公式”に頻繁に出会う。公式さえ覚えていればxやy、AやBに与えられた数字を入れれば答えが出る。理屈なんて分からなくても公式さえ覚えておけばテスト対策は万全だ。

しかし一方で公式さえ覚えていればその事の本質や意味がわかっていなくてもテストで点を取ることはできる。理解していないのにできてしまうことになる。学校のテストでいい点を取ることだけが目的ならそれでもいいだろう。しかし現実には公式通りに事が運ぶことなどほとんどない。様々な要因が絡み合って原理原則の組み合わせを変えながら臨機応変に対応することが求められる。いわゆる”応用問題”だ。参考書などには応用問題用の”応用公式”まで載っているものもあったが、事の本質を履き違えているとしか言いようがない。”臨機応変”が重要なのだ。そのためには本質を理解していなければならない。

そのせいで、マニュアルに書いてあることは理解していなくてもできるようになるが、逆に言えばマニュアルに書いてあることしかできなくなるのだ。これが”最近の”マニュアル人間だ。

かつて大手ハンバーガーチェーンのCMで「スマイル0円」のキャッチフレーズで店員がいつも笑顔で接客しているところをアピールしていたが、高校生あたりは実際にお店で何も買わずに「スマイル1つ下さい」なんて言っていた。しかし店のマニュアルに「スマイル」を販売した際の問答集はなかったらしく、アルバイトの女の子は毎日泣かされていたのだという。またお店に1人でやって来てハンバーガーやポテトフライを20個30個と注文したお客さんに「店内でお召し上がりですか?」と尋ねるアルバイトも普通だった。常識で考えれば大勢の人の分をまとめて買いに来たことは容易に想像できるのだが、マニュアル通りに接客するからそんなトンチンカンなことが起こる。

もっともそうしないとアルバイトや新入社員の管理ができないという事情もあったのだろう。それにしても、注文するといつも「よろこんで!」と仏頂面で答える居酒屋のアルバイト店員や決まり文句を繰り返す牛丼チェーンの店員に誠意を感じることはない。

経営者は自分が常に最善で正しいと思いこんでいるから、マニュアルにあること以外の事をしてスタッフにトラブルを起こされたくないという気持ちがないと言えば嘘になる。指示したこと以外のことはやるなという管理者の考えも見え隠れする。社員やスタッフを信用できない経営者が犯す愚だ。どうやってスタッフを育てるべきかがわかっていない。
自分が組織から信頼されてないと思ったスタッフが、求められる以上の仕事をすると思っているのだろうか。自分が逆の立場ならどう思うだろう。

人は自分のためか、さもなくば自分が役に立ちたいと尊敬する人のために働く。尊敬できる人のためには自己犠牲もいとわない。だが尊敬できない人から命じられたことはやるべきことすらやらない。自分を軽く見たりバカにする人の言うことはやりたくないのだ。そういうものだ。違うだろうか。